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紫がたり 令和源氏物語 第八十四話 賢木(十三)

 賢木(十三) 

雲林院にて心を鎮めた源氏は中宮と春宮の後見という立場からもよそよそしくするのは却って世間に変に思われると考え、公のことはしっかりと果たそうと心を決めました。
中宮が東宮の元から三条邸へ戻られると聞き、退出の供として参じようと宮へ山から持ち帰った紅葉の一枝を贈りました。
そこにまた懲りずに小さな結び文があるのを見て、宮が再び深い溜息を漏らされたのを源氏は知る由もありません。

久しぶりの参内ゆえに帝の御前に伺候すると、差し迫った公務も無かったことから喜んで源氏を迎えられました。
帝のご様子は穏やかで、このところ益々面差しが亡き院に似てこられて優しげな風情がなんとも魅力的です。
弘徽殿大后と右大臣は昔からの因縁で源氏を毛嫌いしておりますが、帝は実際の御兄弟であるので、源氏を懐かしく感じて気安くお話になります。
源氏も昔からこの柔和な兄が大好きだったので、うちとけて恋の話などで盛り上がりました。
ふと帝は遠くを眺められるように漏らされました。
「ああ、そういえば。伊勢の斎宮の姫君がなんとも可憐なご様子であった」
「さようでございますか」
「うむ。額の際の美しいところなど、なんとも気品があった。生い先楽しみであるが、伊勢のような寂しいところへやるには惜しい姫であったよ」
「いずれまたお会いできることもありましょう」
「そうさな」
この宵はさやさやと渡る風も心地よく、しっとりとした情趣に溢れております。
「源氏よ、父院がご存命の折にはよくこのような宵には管弦の遊びをしたものだな」
「はい、まったく。是非お誘いに乗りたいところなのですが、中宮様のご退出に参じなければなりません」
「そうであったな。春宮にお会いするのも久しぶりであろう?」
「はい。勤行などに明け暮れておりましたもので」
「健やかに成長されておられるぞ。亡き父院の御遺言もあるので我が子とも思っているが、春宮ばかりを贔屓にできぬのがつらいところよ。益々聡明になられてな、私の面目を春宮が立ててくれているようだよ」
「何を仰います。すべてはお主上の庇護の元、御徳で世は平和なのでございます」
なかなか顔を見せない二十日の有明の月が昇り、源氏は御前を辞しました。
帝は斎宮になられた御息所の姫に密かに想いをかけられていたようです。
そのように美しい姫であったならば、もっとお世話をしてお近づきになっておけばよかったなぁ、などと思われるのは、これまた源氏の悪い御癖でしょう。

そうして東宮御殿へ向かう源氏の行列をこれ見よがしに塞ぐ者がありました。
弘徽殿大后の兄・藤大納言の息子、頭弁(とうのべん)という若者で、右大臣の権勢で近頃羽振りがよいのです。
「白虹日を貫けり、太子怖じたり・・・」
あてつけがましく史記の一節を口ずさみました。
これは燕の太子が秦の始皇帝を暗殺しようと目論んだものの、白い虹が太陽を貫いた不吉な予兆を見て謀略が露見したことを知り、太子は恐れおののいた、というものです。
春宮を擁立して帝に仇なそうとしても無駄なことよ、と源氏を挑発しているのです。
釘をさしているつもりでしょうが、威勢を笠に着ての品位のなさに源氏は鼻白み、ことを荒立てることもなかろうと素通りしました。
それにしてもこのように浅薄な者が我が物顔で宮中を跋扈するのが口惜しくてなりません。
先頃兄帝が思い起こされたように、桐壺帝の御代にはこのような宵には左大臣も右大臣もなく、管弦の遊びなどが催されたもので、左大臣は政事を一手に担っておられても、右大臣の一族を冷遇するようなことはありませんでした。
義理の父である左大臣はやはり優れた御仁である、と敬愛せずにはいられません。
権力を握った時に人の本当の品格というものは問われるものなのだ、と源氏は心に刻みつけました。

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