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紫がたり 令和源氏物語 第八十五話 賢木(十四)

 賢木(十四)

東宮殿に着くと、まずは中宮にご挨拶をとしばらくの無沙汰を詫びました。
「御前に伺候しておりましたので、遅くなりました。大変長らく伺いもせず失礼致しました。中宮さまにはお変わりなくお過ごしでいらっしゃいましたか?」
「おかげさまで恙なく。艶やかな紅葉の一枝も結構なものでございました」
宮は王命婦を取り次ぎとして返事を返されました。
「深山の冷気があれほどの色を染め上げるというのも、不思議なものです。あの一枝に御仏の慈悲が恵まれているのであれば、御身にもご加護がありますようにと持ち帰りました。春宮とはゆっくりお過ごしになれましたでしょうか?」
「久しぶりの内裏で些か気ははりましたが、長くお会いできなかった春宮の成長も目の当たりにできて嬉しいかぎりでございました」
そうして、中宮はやはりこの様変わりした内裏を寂しく思召していらっしゃるのでしょう。
ふと詠まれました。

 九重に霧やへだつる雲の上の
        月をはるかに思ひやるかな
(かつて親しんだ月(=内裏)がどのような様子なのか、今は煩わしいものが霧のように八重、九重と私の視界を遮るので、私はただただ思いやることしかできません)

 月影は見し世の秋にかはらぬを
       隔つる霧のつらくもあるかな
(月影にみる内裏の景色は昔見たものと変わりがないように思われますが、間を隔てる霧が何とも辛いものですね)

歌というものは興味深いもので、受け取る側の解釈がひとつだけではない場合があります。歌を贈りあう者が想いあう者同士や共有する記憶を持つ者同士、暗に含ませて当事者しかわからない意味を込めることがあります。
平安時代では使用人などが主人の手紙を相手に届けておりました。
人の手によるものですので、手紙を無くしてしまうということもあったでしょう。
そんな時にはあからさまな歌ではなく、お互いに意味を持たせた歌を贈ったりしたものです。
源氏の返歌は「隔てる霧」を右大臣一派とするものと、中宮に隔てを置かれていることをそれとなく風刺した意味を込めたものなのですが、それには宮は沈黙で返されました。

しばらくぶりにお会いした春宮はまた立派になられたように思われ、源氏は大層うれしく感じました。
「春宮、長らく参内もせずに失礼いたしました」
「おひさしぶりです、大将の君。寺に籠っておられたそうですね」
「はい。御山の空気で身を清めてまいりました」
先程帝が仰っていた通り、春宮は聡明なご様子です。
寺での勤行のことにもご興味を持たれたのか、いろいろと質問されるのが利発で明晰な印象です。
この御子は生い先立派な帝になられるに違いありません。
父と名乗ることはけして出来ませんが、陰ながら心を尽くしてお仕えしよう、そうしみじみと決意する源氏の君なのでした。

このとき中宮はいつもの様子を貫こうと必死に堪えておられました。
御簾越しにせつなく源氏の君をみつめるのを傍らの王命婦も気付きません。
その御心裡は今どのような色を成しておられるのでしょうか。
春宮と普通の母子のように過ごすことが出来たこの数日は穏やかで幸せな記憶となり、これからも宮を支えてゆく糧となるでしょう。
この身がどうなろうとも、この春宮の為に生きると固く御心を決められました。
それにしても目の前に実の父子が睦まじく語らう姿を目にすることができるとは。
宮はこの情景を終生忘れることはないでしょう。
一抹の寂しさが胸の裡を掠めるのは、次に源氏と会う時が世を捨てる日に違いない、そう確信されておられたからです。

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