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紫がたり 令和源氏物語 第八十六話 賢木(十五)

 賢木(十五)

十一月の初め頃、桐壺院の御命日のその日は、雪がしんしんと降り積もり、天も神妙に悼んでいるように思われました。

もう一年経つというのか。
この一年で世は大きく変わったものですよ、父上。

端近で一面の純白な世界を前にして源氏は改めて心細さを噛みしめております。

宮も同じようにこの雪を眺めておられるのだろうか。
源氏は中宮に挨拶の文をさしあげました。
 
別れにし今日は来れども見し人に
   ゆきあふほどをいつとたのまむ
(父院とお別れした今日という日が巡ってきましたが、亡き院と再びお会いできるのはいつのこととなるのでしょうね)

国中が院を偲んでいられるので、さすがの宮も源氏にお返事をなさいました。

 ながらふるほどはうけれどゆきめぐり
      今日はその世にあふ心地して
(院と別れて生きながらえるのを辛く感じて過ごしてまいりましたが、御命日の今日は在世中の時に返ったような気がして懐かしく感じています)

この日ばかりは中宮への気持ちを抑えて、亡き父院の安らかなることを祈って勤められる源氏の君なのでした。


一周忌を無事終えると、一月後には追善供養として藤壺の中宮の手によって法華八講が催されます。
中宮は万事取りこぼすことの無いようにと念入りに準備をされ、十二月十日を迎えられました。
法華八講とは、徳の高い僧侶をお招きして、法華経八巻を四日にわたって講義してもらうのです。
その話に耳を傾けるだけでも功徳が得られるという、ありがたくも尊い催しなのでした。
まず初日は先帝・藤壺の中宮の父帝の御供養をされ、二日目には母后の御供養、そして三日目には桐壺院の御供養がなされました。
一日目、二日目とは異なり、三日目は弘徽殿大后の目を気にする上達部もこの日ばかりは院の為と、大勢が三条邸に集いました。
親王達の奉ずる供物が祭壇へと並べられ、源氏も立派に整えたものを奉げました。
日頃心の細やかな中宮が細心の注意をされて整えられたので、仏花、経典、御台にいたるまですべてが美しく、法華経の和歌を誦唱する僧の尊い声を聞きながら、極楽浄土へと誘われるようで、催しは大成功でした。

そして第四日目の最終日、藤壺の中宮は結願(けちがん=法会の終了)として、出家する旨を明らかにされたのです。
その場に居合わせた者達はあまりに突然の出来事にざわめきました。
兄の兵部卿宮は思いとどまらせようと、急いで中宮の御簾内へお入りになりました。
女盛りであるのが惜しく、幼い春宮もおられることとて、何とか御諫めせねばと説得にあたられましたが、
「兄上、申し訳ございません。もう決めたことですので」
中宮の意志は固いと見て取り、兵部卿宮は涙を流されました。

宮が世をお捨てになられるとは。
私のこともお捨てになられたのだ。
源氏は衝撃に打ちのめされました。
目の前が真っ暗になり、どうすれば留められるのか、と途方に暮れました。

手筈はすでに整っていらしたのか、読経の声が一段と高まり、宮の御伯父の横川の僧都が念仏を唱えながら御髪のひと房を削ぎ落しました。
長々とした黒髪が次々と削がれてゆくのが無情と思われるほど。
中宮は三十路にも満たず、落飾という言葉があまりにも痛々しいのです。
世の事情がよくわかっている人達は、春宮や中宮をよく思わぬ弘徽殿大后に身を捨てて害意のないことをお示しになったのであろう、とまだ若い宮が世を捨てられたことを不憫に思うのでした。
堂内にすすり泣く声が響き、みなこの辛い世を憂いております。
王命婦も自ら願い出て、宮に従い髪を下ろしました。

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