紫がたり 令和源氏物語 第百二十八話 明石(十五)
明石(十五)
都での変事は未だ収まらず、人心は不安に掻き乱されております。
そして朱雀帝の治世において主導的な役を担っていた太政大臣がなんの前触れもなく身罷ってしまわれました。
前日までは宴などを開き元気にお暮らしだったのを、日が高くなっても起きてこられないので、不審に思った北の方が様子を見に行くと、大臣(おとど)はすでに冷たく横たわっておられました。
これは公にはされておりませんが、その大臣の形相は断末魔に苦しまれたらしく、空を掴むように差し伸ばされた掌はきつく握られていたそうです。
公然とされなくとも噂はどこからか漏れ、これは只事ではないと世に不安の波紋がまたひとつ大きく広がるのでした。
眼病を患われた帝は近頃お気持ちがめっきり弱くなっておられます。
そして母である大后を呼んでは源氏の赦免を訴えるのでした。
太政大臣が薨じられていささか心細くなった大后ではありますが、こればかりは断じて受け入れられぬとしていたところ、大后までもが物の怪に悩まされ、病に倒れられてしまいました。
太政大臣の喪中ということもあり、暗澹たる淀んだ空気が都を包むなか、その年は暮れてゆきました。
そうして年が改まった最初の詮議で帝は源氏赦免の評定をかけられたのです。
御目もいまだ塞がれたままで、帝はすっかり気持ちが萎えてしまわれ、相変わらずの天の荒れように譲位までも考えておられました。
大后はと言いますと、今の春宮を廃するのをかねてから目論んでおられました。
その為に亡き桐壺院第八皇子・八の宮をご自身の養子に迎えておられましたが、承香殿女御(しょうきょうでんのにょうご)が皇子をお産みになられたことで状況が変わりました。
それはご自身の孫である皇子を次の帝に立てる方が望ましいからです。
結局八の宮は打ち捨てられるような形となりました。
皇子は御年二歳という幼さであるので、そうすると摂政(せっしょう=代わりに執政する者)を置かなければなりません。
しかし、残念ながらそのように政事を司れる器を持つ人物など今の内裏には居ないのでした。
次から次へと己の権力を維持するために策を巡らせる大后ですが、人材の育成もしてこなかった施政が裏目に出たということになりましょうか。
賂政治のツケがここで廻ってきたとしか言いようがありません。
もし仮に、摂政など担える者がいるとすれば、それは遠く彼方にある源氏のみ。
才能溢れ、人望厚い弟しか帝には思いあたらないのでした。
そうとは言って源氏が復権すれば、大后念願の春宮排斥は叶わぬことになるでしょう。
帝は源氏を許せば亡き父院の御遺言も守ることができますので、御心も軽くなると思召して、日々大后の説得にあたられているのでした。
京にて源氏赦免の評定が為されていることは明石の浦にまで聞こえてきました。
しかし源氏はあくまで慎重で、宣旨(帝からの勅命)が下るまでは浮かれないよう側近達を窘めました。
今の源氏にはどのような運命に左右されようともじっとその流れを静観する分別とそれに向っていける大きな器が備わっているのでした。
この二年に渡る放浪が彼を大きく変えたのです。
源氏の目はもはや国というものに向いています。
宰相として在った時よりもずっと国のことを考えるようになりました。
ただ男女のことにだけは以前と変わらぬようなのは、異国で覇者となった者もそうであるように、人である限り尽きない悩みとなるようです。
ひとえにこの君の美しい様子なればこそ、そのひと笑みで都中の女人達が魅了されずにはいられないと言われたほどの艶やかさに、歳を追うごとに備わる威厳のようなものが加わり、今源氏は傍から見てもこの上ない男盛りでおられます。
風光明媚な浦にあってはまさに一幅の絵のような、その輝きは増しているように思われるのでした。
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