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令和源氏物語 宇治の恋華 第百七十一話

 
第百七十一話
 浮舟(三十五)
 
「姫さま、二人の男に愛される女の話はそう珍しいことではありませんわ」
右近の君はおもむろに躊躇いながら自分の姉の話をし始めました。
「わたくしの姉が同じように二人の男に求愛されたのでございます。前から添う男はもはや空気のように落ち着いた夫婦たらしく平穏をもたらしてくれましたが、新しい男は情熱に火をつけるべく姉に言い寄ったのですよ。女人とは弱いものでございます。強く烈しく愛されることに心が揺れて、そうと悟った古い夫は若い男を切り殺してしまいました」
事の次第を聞いた侍従の君は恐ろしさのあまり悲鳴をあげました。
「なんで姫さまにそのような不吉なことをおっしゃるのです?」
「女というものはすべからく殿方よりは一段低く見られる身分なのです。姉も二人の男を惑わした者としてもう二度と京には戻れぬ身の上となりました。ここは毅然とどちらの殿方かを選ばなければ行く末が情けないことになりかねない、ということを知っていただきたかったんですの」
侍従の君とて右近の言わんとすることは理解できます。
「これが世の中というものですわ。たとい身分が低くとも高くとも、男女の構図に変わりがあるはずはありませんもの。御心の赴くままに後悔されませんよう御身の行く末を見つめてくださいまし」
「そうですわ、姫さま。宮さまとの愛をお選びになってもこの侍従はどんなことをしてでもその願いを叶えて差し上げます」
侍従の君も右近の君もすでに浮舟の心が宮へ傾いているとばかり考えているのを、本人はどうとも答えられないのがもどかしい。
初めての殿方ということもあったせいか、やはり薫君と別れることはそうすぐには決断できず、かといって君に迎えられれば二度と宮とお逢いすることはできまい。
まさに二つの心の狭間に揺れてどうしてよいのかわからないのです。
薫君からはあの手紙以来何の消息もよこされないもので、鬱々と過ごす浮舟は、やはり自身が消えてしまうのがもっともよいと考えてしまいます。
 
わたくしが居なくなれば母君はさぞや悲しまれることであろう。
しかしながら子は他にも大勢いられるし、この身が生き永らえて世間に嘲笑されながら恥を重ねるよりかはましであろうか。
 
浮舟はそうと心は決めましたが、死というものを前にしてどうしてか弱い女人がそうあっさりとそれを受け入れることができましょうか。
後に遺すのも見苦しいと宮からの手紙などは少しずつ焼き捨てるのを侍従の君は、まさか姫が自死を考えているとは及びもつかぬもので、出家でもなさるおつもりかと動揺するのです。
「姫さま、こうしたものはそっと文箱の奥にでも忍ばせるものですわ」
「いいえ、これでよいのよ」
そうして浮舟はあの宮の描いた絵も燃やしました。
「まさか出家など考えられているのでございますか?」
「それは思いもつかなかったわ」
姫の心底驚いた様子に少しばかり安堵した侍従ですが、姫の胸中を量れずにいるのです。
「必ずや宮さまの元へ行かせて差し上げますわ」
そう励ます侍従に姫は虚ろな眼差しを返すばかりなのでした。

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