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紫がたり 令和源氏物語 第三十四話 若紫(八)

 若紫(八)

翌日の昼、大納言邸に父である兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)が姫の様子を見にやって来ました。
「この邸は大層荒れているな。こんな所に姫を長く置いてはおけまい。なるべく早く私の邸に引き取らなければ。あちらには異母姉妹も大勢いるからすぐに馴染めるであろう」
そう仰いますが、少納言の君は殿方には継子の辛さはわからぬものよ、と鼻白みました。姫の母をいびり倒して死に追いやった北の方が姫を大事に扱うとは到底思えません。それに子は親を真似するものなので、異母姉妹も姫に辛くあたるのが目に見えるようです。
「せめて尼君の四十九日が済むまではこちらにおられる方がよいのではないでしょうか」
何気なく牽制しました。
「それもそうだな。穢れがあるからねぇ。おや、姫はなかなかいい香を焚き染めているね」
それが姫から漂う源氏の君の移り香であることに気付いた少納言の君は冷や汗をかきましたが、曖昧な表情を浮かべて誤魔化しました。
源氏の君と姫が釣り合う年齢ならばこれ以上のことはないでしょうに。
改めてそう思わずにはいられません。


源氏は悩んでおりました。
「ご縁談の初めだというのに源氏の君ご自身がおいでにならないなんて」
と少納言の君が惟光に漏らしていたということです。
側近の惟光を遣わし、宿直(とのい)の者もあちらにやっていたのですが、何かあろうはずもない幼い姫の元に通うのは憚られるというものです。
それは少納言にもわかっているのですが、これから先のことを考えて源氏に頼るか姫を父宮の邸に移すか、決断の時が迫っているのでした。

数日後、源氏は左大臣邸を訪れましたが、例の如く葵の上は顔も見せません。
筝の琴などを爪弾いて月を愛でていると、惟光がそっと庭先から姿を現しました。
「殿、明日兵部卿宮様が姫を邸に引き取られに行かれるそうですよ」
もはや一刻の猶予もありません。
唇を固く結び、強い意志をみなぎらせ、源氏はそのまま左大臣邸を抜け出しました。

大納言の邸に着くと、源氏は無言で姫の部屋へと向かいます。
少納言の君は驚いて源氏を留めようとしました。
「源氏の君、このような夜更けに来られても・・・、困りますわ」
「姫を私の邸にお連れする。よいな」
強い口調で言われて言葉も返せない乳母(めのと)でしたが、騒々しさに女房達も目を覚ましたようです。
「兵部卿宮様には多くの姫があり、あの北の方のご気性から考えても姫が大切にされるとは思えません。私がお世話いたします」
源氏はきっぱりと言いました。

この時代の婚姻形態は「通い婚」といって、男性が女性の元へ通うものです。
そして婿の世話の一切を女性側の家が面倒見るので、娘を多く持つ親は大変なのでした。また良い婿を迎えるには経済力がなければならず、継子などはお荷物以外の何物でもありません。どう考えてもあちらに引き取られて姫が幸せになるとは思えないのです。

姫はまだ夢うつつの状態でしたが、源氏の君が自分を抱き上げているのに気付くと目を見開きました。
「姫、これからは私が姫のことをずっとお守り致します」
その声音は優しくも頼もしく聞こえて、姫は抗うことなく牛車へと運ばれました。
源氏がまさかこのような大胆な行動に出るとは考え及ばず、少納言の君は途方に暮れましたが、「ええい、ままよ」と覚悟を決め、姫の新しい装束一式、身の回りのものなどを掻き集めて牛車に乗り込みました。
二条邸はすぐ近くなので夜が明けきる前に到着しましたが、幼い姫はどのような心持ちだったのでしょう?
これから自分はどうなることかと不安であったに違いありません。
少納言の君に寄り添ってじっと身を固くしておりました。

次のお話はこちら・・・


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