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紫がたり 令和源氏物語 第三十五話 若紫(九)

 若紫(九)

やがて夜が明けると辺りの様子がよくわかるようになりました。
少納言の君はこの御殿が美しく磨き上げられ、贅をこらしたものであることに驚きました。
庭にある草花は季節にそぐって趣があり、遣り水なども配されております。
敷きつめられた石は玉のように光り、とても今までの住まいとは比べものになりません。
粗末な衣服を纏った姫と乳母は、まるで別世界に迷い込んだように感じるのでした。

二条邸は西と東の対に分かれており、通常源氏が生活するのは東の対にて、西の対は客人用にしつらえてあるのでした。
邸の使用人たちは西の対に女君が迎えられた様子をはや悟っていましたので、
「邸に迎えられるなど、よほど御寵愛の深い御方に違いない」
とみな噂しあい、よもや十ばかりの幼い姫とは思いもよらないのです。
早速源氏は気の利いた女房を揃えるよう指示し、東の対から美しい女童を姫の遊び相手として呼び寄せました。
そして絵巻物や雛などを取り寄せて姫に与えると、姫はこの夢のような御殿で始まるこれからの生活に胸をときめかせているようでした。


その頃、大納言の邸には姫を迎えに父の兵部卿宮が訪れており、娘が居なくなっていることに愕然としておりました。
「姫はどうしたというのだ?どういうことか説明しなさい」
女房たちは源氏に固く口止めされ、むしろ君の元へ引き取られた方が姫の幸せになると確信しておりましたので、
「少納言の君が姫を不憫に思って隠してしまわれたようです」
皆で口裏を合わせて曖昧な返事を貫きました。
仕方なく父宮はがっかりと肩を落として帰って行かれました。

源氏は姫につききりで絵物語を見せたり、おままごとの相手などをして、2、3日のうちに姫はすっかり懐いてしまいました。
「お兄さま」と愛らしく呼ばれるのがなんとも心地よく、夫婦でも親子でもない、いずれ妹背となる不思議な二人の姿がそこにはあります。
少納言の君は二人の様子を眺めながら、源氏がこのようにいろいろと心を配ってくれることを大変ありがたいと思うのでした。

 ねは見ねどあわれとぞ思う武蔵野の
      露わけわぶる草のゆかりを
(まだ我がものではないけれど、かの女にゆかりあるあなたを愛しく思いますよ)

「そうだ、これからはあなたを紫(=ゆかりのある、公にはできない“藤”壺の宮にかけている)の君とお呼びしよう」
そう微笑むと、紫の君に手跡などを教授するのでした。
「私は字が下手なので、恥ずかしくて書けません」
はにかむ紫の君を、
「練習すれば上達しますから、恥ずかしがらずに」
そう源氏が優しく励ますので、紫の君は首を傾けてじっと何やら考えているようです。うん、と頷くと筆を取りました。

 かこつべき故を知らねばおぼつかな
     いかなる草のゆかりなるらん
(ゆかりのあるとおっしゃいますが、私は誰のゆかりのものなのでしょう。故を知らぬので不安になります)

ふっくらとした亡き尼君に似た手跡で書いたので、これは将来が楽しみな、と源氏は一人悦に入っているのでした。

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