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紫がたり 令和源氏物語 第二百二十話 玉鬘(十三)

 玉鬘(十三)
 
その年も押し迫り、六条院において初めての正月を迎えることから、源氏は装束なども整えて女君たちに格別な新年を迎えてもらおうと新調した着物などを春の御殿に集めさせました。
紫の上の指示で特殊な染めなど施された数々の衣装がずらりと並べられています。
「これだけあるとなかなか壮観だな。どれもすばらしくよくできている」
源氏は満足げに微笑んでいます。
集めた女君たちに自分が選んだ衣装を元旦に身に着けてもらい、それを愛でにまわろう、そんな趣向に悦に入っているのです。
「どれをどの方に差し上げるかはあなたがお決めになればよろしいですわ」
紫の上は黙って源氏に委ねました。
源氏は楽しそうに大広間に広げられた着物を見て歩きました。
まず紫の上には紅梅の模様が浮き上がった葡萄色の小袿に鮮やかな桃色の下襲(したがさね)。当世風で華やかなので上にはよく似合いそうです。
明石の小さい姫君には桜襲(さくらがさね=表は白で裏が赤)の細長に掻練(かいねり=裏表紅色で絹を打って光沢をだしたもの)の下襲で、いかにも童女らしく愛らしいものを選ばれました。
この母子が並べばそれだけで春の薫りが漂うことでしょう。
花散里の君には夏の御方らしく縹(はなだ=薄藍)色に波や海松(みる)、貝を優美に織り出したもの、下襲には濃い紅色の掻練を添えて。
玉鬘姫には鮮やかな赤の表着に山吹の細長を選ばれました。
それをちらと見た紫の上はなるほど内大臣の美貌の派手やかな面差しを思い浮べて、玉鬘もはっきりとした目鼻だちをされた美しい姫なのであろうと推測しました。
そんな紫の上を尻目に源氏は次に選んだ衣装を前に苦笑しています。
それは柳襲(やなぎがさね=表は白で裏が青)に、唐草が浮いたように織り出されているものです。
あまりに艶めかしくて末摘花の姫には似合うだろうか?
とつい口元に苦い笑みが浮かんでしまうのでした。
源氏が次に念入りに選んだ装束は、これらの中にあっても最上級の物でしょう。
唐風の地紋が上品に浮き上がった織物に梅の折れ枝、蝶や鳥が飛び交う高雅な小袿です。
下襲には濃紫の艶やかなものを合わせて、紫の上にはすぐにこれが明石の上への贈り物だと察せられました。
この装束選びは源氏の心をそのまま映したものです。
傍らにそれを目の当りにする紫の上は顔にも出しませんでしたが、辛きこと、と心裡では溜息をついているのでした。

ほどなくして贈られた装束のお礼にと女君たちの使者が続々と文を携えてやってきました。
使者は褒美として頂戴した衣を肩にかづいて御前に伺候します。
その中に一人だけ袖口の色が剥げたような衣を戴いている者がおり、源氏はそのような衣しかないのであれば与えなくてもよいものを、と思いつつ、先にその使者を呼び手紙を受け取ると帰しました。
差出人は思った通り末摘花の姫でした。
 
着てみれば恨みられけり唐衣
   返しやりてん袖を濡らして
(この衣に袖を通すとお越しいただけぬ御身を恨まずにはいられません。いっそお返ししたくなります。袖を私の涙で濡らして)
 
厚ぼったい陸奥紙にますます古風で角ばった字に古臭い歌を詠む様子に源氏はまた苦い笑みを浮かべてしまいます。
紫の上が怪訝な顔をするので、源氏はばつの悪い思いで答えます。
「この姫は相変わらず“唐衣”とか“袖濡らす”とかが歌心に肝要だと思われているようで、古くて融通のきかない方なんですよ」
紫の上は源氏が言わんとすることもわかりましたが、末摘花の姫がお気の毒で源氏にちゃんとお返事をさしあげるよう勧めました。
源氏はこのように身分ばかりが高くても世間並みではない末摘花と同じ妻の一人として扱われる紫の上の心を慮ったのですが、どのような姫であっても女人に恥をかかせてはならないという紫の上の心ざまのほうが優れているのです。
まこと北の方に相応しき上であると源氏は改めて思われるのでした。
「では、この六条院の女主人のすすめに従うとしますか」
源氏は筆を取り、さらさらとなんでもないような歌をしたためました。
 
 かへさむといふにつけても片敷きの
        夜の衣を思ひやるかな
 (あなたは衣を返すとおっしゃいますが、衣を独り敷いて眠るあなたを思い遣ります。仰る通りで返す言葉もありません)

源氏の権勢の表れともいえるこの六条院。
かつてこれほどの栄華を極めた者があろうか。
そこに訪れるであろう初春の喜びに酔いしれる源氏の君なのでした。

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