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令和源氏物語 宇治の恋華 第十話

 第十話 花合わせ(六)
 
蔵人の少将が玉鬘君の大君に懸想したのは、端近で碁を打つ姿を垣間見てしまったことからです。
その華やかな美貌に一瞬で心を奪われてしまいました。
それは親しい藤侍従を訪れた時のこと。
部屋に侍従の姿が見当たらず、庭面から楽しげな女人の声が聞こえたもので、そっとそちらを覗くと、御簾は巻き上げられて、二人の若い姫君が楽しげに碁を打っているところでした。
「何か褒美をかけないと面白味に欠けますわね」
「あの一番艶やかな桜の木を賭けるというのはどうかしら」
「あら、あれはわたくしの桜だとお父さまはおっしゃったわ」
「まぁ、お姉さま。お母さまはあの桜はわたくしのものだと言っていたのに」
「では三番勝負で決めましょう」
その挑むような一瞥は艶やかで、髪は豊かに美しい。
中君はこちらに背を向けているので横顔しか伺えませんが、大君のあまりの美しさに目を離すことができないのです。
この姫を始終傍で眺めることができたなら、どれほど幸せな人生を送れるであろうか。
蔵人の少将は時が止まったように魅入られてしまいました。
 
蔵人の少将はこの恋心を父の夕霧と母の雲居雁に訴えました。
いずれ出世する自信はありますが、自分の今の身分ではまだ頼りないと笑い飛ばされるのが関の山。
雲居雁は玉鬘君の妹であることだし、父は大臣なのですから、この筋から正式に申し込めば承諾されるかもしれない、と一縷の望みを懸けたのです。
夕霧は可愛い息子の為に玉鬘君に新年の挨拶をかねて邸を訪問したのでした。
「夕霧の大臣にお越しいただけるなんてありがたいこと」
玉鬘は恐縮して上座に大臣を案内しました。
「新しいこの年もどうぞよろしくお願いいたします」
年を重ねるごとに風格を増す夕霧の容貌に溜息を漏らさずにはいられません。
「源氏のお父さまに益々似ておいでですわ。懐かしゅうございます」
「お互いに年を重ねたものですね。時にうちの三男坊が大君さまを北の方に迎えたいと申しまして、これを機に改めて親しくさせていただければとお願いに参った次第なのです」
「まぁ、ありがたいお申し出なのですが、夫の遺言で冷泉院への入内をと考えております」
「それはすでに決まったことですか?」
「内々ではございますが」
「そうですか」
すでに院へその意志を示しているのであれば仕方があるまい、と夕霧は引き下がりました。
「入内となるとお支度も大変でしょう。どうか遠慮なく私を頼ってくださいませ」
「ありがたいですわ」
息子には気の毒であるが、これは縁が無かったと諦めるしかあるまいよ、とあくまでも冷静な夕霧なのです。
それでも大君を諦めきれぬ蔵人の少将はそれから時間があるたびに玉鬘邸の辺りをうろつくようになりました。今で言うストーカーまがいの行為でしょうか。
どうにかして自分を見てもらえぬか、大君の姿をまた垣間見ることはできぬものか、ともはや正気とは思えぬほどに周りの目も気にせぬようになっているのでした。
 
ある時、薫が藤侍従に会いにやって来ると、先に蔵人の少将が訪れておりました。
庭先で見事な紅梅に目をやっております。
「やぁ、少将。よくこのお邸で会うものだね」
しかし元気がなく、やつれているように見えました。
「薫る中将もまさか大君に気があるなんてことはないですよね?」
「君は、そうか。大君が目当てだったのか」
「実は私は大君を垣間見たことがあるのです。桜の艶やかな去年の春でした」
快活な少年であったのに、恋に身を焼いてこのように憔悴しているのか、と薫は少将を不憫に思いました。
「いっそ姫をさらって逃げようかと本気で考えているのですよ」
「そんな物騒なことは口にするべきではないよ」
「父上からお願いしてもらったのですが、臣下には嫁せないとすげなく断られました。後ろ盾もないのに入内など、大君が苦労するのは目に見えているではないですか。私の身分が低いからといって馬鹿にされている気分です。玉鬘殿はどうしてそんなに高飛車なんでしょうか」
「ふむ。髭黒殿の遺言を守ろうとなさっているのだよ」
「ああ、私はあきらめきれない」
ふらふらと足元もおぼつかない様子に薫は手を貸そうとしましたが、少将はそれをうるさがるように邸を後にしたのでした。
薫はふと臣下に嫁がせないというのであれば、自分はどうなのだろうかと思いました。父は院と呼ばれた源氏に母は皇女です。
薫は大君にそれほどの思い入れはありませんでしたが、好奇心から玉鬘に大君所望を仄めかすようになりました。
それは玉鬘の心もあの真面目な君にならば、と大いに揺れたことでしょう。
それでも冷泉院に入内することに意を固めました。

次のお話はこちら・・・


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