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紫がたり 令和源氏物語 第三百一話 藤裏葉(六)

 藤裏葉(六)
 
夜も更けて、そろそろ宴もお開きかという頃合いに、夕霧は酔ったふりをして内大臣に仄めかしました。
「御酒をいただきすぎて足元もおぼつきません。こちらのお邸に泊めていただけませぬか?」
「柏木よ、案内してさしあげなさい。老人もここで失礼させていただこう」
内大臣はそうおっしゃって奥へ入られました。
公然と婿に迎えるわけですが、あくまでも自然に趣深くするのが内大臣の流儀なのです。
「花の陰の旅寝かね?これからも足繁く通うというなら案内してもよいが」
柏木は夕霧をひやかすように笑います。
「やっと辿り着いた旅の終点に意地悪なことは言わないでくれよ」
夕霧がはにかむ顔は男から見ても魅力的なものです。
柏木はこのような男が妹の婿になるとは幸せであるよ、と心から祝福するのでした。
 
そうして案内された寝所は邸奥。
深更の静寂(しじま)にほんのりと漂う香りは懐かしい雲居雁が好んだ香でした。
そこに愛しい人がいるのだと思うと、よくぞこれまで待ったものだと感慨もひとしおの夕霧です。
そっと御寝所に入った夕霧は几帳の向こうに座す姫に声をかけました。
「雲居雁、とうとうやって来たよ。」
ひそやかに囁くと、衣ずれと共にふわりと芳香が漂ってきます。
「本当に夕霧なの?」
雲居雁の声は大人びておりましたが、懐かしい響きがそのままで、夕霧は六年前に引き戻されたような感覚に陥りました。
思えば二人の間の時計はあのときから歩みを止めていたのです。
平安貴族の恋愛は手紙で始まり、愛を育むのも手紙によるものです。
しかし夕霧と雲居雁は筒井筒、毎日顔をつきあわせて慣れ親しみながら愛を育んできたのです。
引き離されてからは手紙のやりとりで想いを伝えあってはおりましたが、やはりその間は何かが欠落したような物足りなさを感じたことでしょう。
「この日を待ちわびたよ」
夕霧は几帳をどかして早く雲居雁に会いたくて仕方がありませんでしたが、几帳に手をかけた瞬間に雲居雁は言いました。
「ちょっと待ってちょうだい。心の準備がまだできていないわ」
「六年も待ったのにまだ焦らそうというのかい?」
夕霧の声には笑いが含まれておりますが、無理に几帳をどかそうとはしません。
六年という歳月は重く、夕霧の方でも心を落ち着ける時間が必要なのです。
「声が低くなったのね」
「もう子供ではないからな。背もずっと伸びたよ」
「わたくしももう子供ではないわ。あなたに会うのが怖いの。昔とは変わってしまったと思われたら辛いもの」
「気持ちも変わってしまったかい?」
「いいえ、別れた頃と少しも変わっていないわ」
「私もだ。だから改めて今日から始めよう」
夕霧は静かに几帳をどけました。
目を潤ませた雲居雁は夕霧が思い描いた以上に美しくなっておりました。
「ああ、なんと美しい。昔よりもずっときれいだ」
「夕霧こそ背も伸びてとても素敵になったわ」
互いに顔を見つめているうちに六年の歳月が埋められていくようです。
想いあう者同士が寄り添い、二つの人生がようやくひとつに重なり合うのでした。

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