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紫がたり 令和源氏物語 第三百二話 藤裏葉(七)

 藤裏葉(七)
 
平安の身分高い貴族というものは、家同士の釣り合いなどから親が縁組をして結婚する場合が多かったのですが、夕霧と雲居雁は心底想いあった者同士の結婚という稀なものです。
源氏は息子がじっと六年という月日を耐え忍んでこのめでたい日を迎えたことを誇らしく思っておりました。
妻を得て、父の御前に伺候した夕霧は艶やかで自信に溢れております。
辛い恋を見事に実らせたことが君を輝かしく見せるのでしょうか。
息子のそんな晴れ晴れとした顔も源氏の心を明るく和ませるのです。
「夕霧よ、想いがかなってよかったな。とかく賢い人でも恋に惑うて見苦しく取り乱したりするものだが、お前は冷静によくこれまで忍んだものだ。なかなかそのように待てるものではないぞ。内大臣はすっかり折れてしまわれたので、世間ではとやかく言うかもしれないが、自分の手柄のような顔をしてはいけないよ。あの方は依怙地なところがあるからねぇ」
などと、冗談交じりに教訓するのも源氏らしいところでしょう。
夕霧は父に褒められたことが一人前の男として認められたようで嬉しく感じました。
夕霧にとって父源氏というのはいつでも遠い存在でした。
成人してお側近くへ伺候しても、その心裡は測り知れず、三条邸の大宮の元で養育されてたまにしか会えなかった時よりも隔たりを感じていたのです。
他の貴族は、柏木などは長男として父内大臣に目をかけられ、常に付き従い愛されているように思われますが、源氏は夕霧が成人すると大学に入れ、それほど近くには寄せてくれないのをいつしか夕霧は己の至らなさのせいのように考えていたのです。
今となれば学問を身に着け、一目置かれるようになったことなど鑑みると父の判断は正しかったのでしょうが、夕霧はもう少し父に近づき認めて欲しいと思っておりました。
それが今ようやく報われたように感じるのです。
それにしても源氏という人は息子である夕霧にもよくわからない御仁のようです。
大人になって様々な貴族を目の当りにしてきましたが、その考えることも推し測るには難しく、雲を掴むように捉えどころがないのです。
もしや父の歩んできた人生がそのようにさせるのか、などと考えたりもする夕霧です。
内大臣は権勢欲のある典型的な貴族で家門を重んじる人です。
藤原一門が栄えるように、その要として柏木を大事に養育しました。
しかし父源氏は一世源氏、自身が強大な権力を掌握し、今さらどうにもならぬほどの堅固な地位を築いております。
夕霧には皇子として生まれた者が臣下に下り、一から己の地位を築くということがどのようなことか想像もできません。
それゆえに父・源氏は己が築いたものであれば己の代で無くなっても良いという感覚があるのではないか。子や一門にこだわらないように思われるのは、父の歩んできた道がそうさせるのか、と思えてならないのです。
父に褒められて、夕霧はふと気付きました。
父の後を追うことは自分には不可能であるということを。
妻を持つ身となり、いずれは独立して家庭を築くことになるでしょう。
自分の力で世間の信頼を得て、地位を築いていかなければならいのだと改めて胸に刻みました。
 
夕霧の結婚が瞬く間に世に知れ渡り、中務宮や右大臣が残念がり、夕霧に想いを懸けていた多くの女人が深い溜息をついたことは想像に難くありません。
しかし当人たちは長い間の想いを実らせたので、その夫婦仲は水も漏らさぬものだという評判です。
内大臣もそれまでのわだかまりを忘れたように婿を可愛がっているので、これほど祝福された結婚生活はありません。
内心気の折れる宮仕えに出すよりも夕霧のように将来有望な若者に嫁いだ方が正解であったと大満足です。
内大臣の北の方は雲居雁の継母になりますが、実の娘の弘徽殿女御が中宮になれなかったのを口惜しく思い、思わぬ継子の幸運を妬ましく陰で悪口などを言ったりしておりますが、それが何ほどの影響がありましょうか。
今は按察使大納言の北の方となっている雲居雁の本当の母君も密かに娘の結婚を嬉しく思い、心から祝福しているのでした。

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