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紫がたり 令和源氏物語 第三百話 藤裏葉(五)

 藤裏葉(五)
 
念入りに身だしなみを整えた夕霧は陽も落ちた頃に内大臣の邸へ到着しました。
それまで気を揉んでいた内大臣ですが、夕霧が殊更艶やかに装って登場したのを満足げに眺めております。
御簾の内から覗く若い女房たちに、
「夕霧の宰相の君の立派さは年々増してゆくようではないか。素晴らしい青年だ。父の源氏は愛嬌があって見ていると思わず微笑まずにいられない魅力があったが、公の場ではいささか軽薄な感は否めなかった。しかし夕霧は学問も格別に優れ、あの年齢ですでに重々しい風格があるな」
すでに舅気取りで中将を褒めそやしております。
実際その場にいる公達もみな立派でありましたが、中でもやはりその姿は水際立って美しいのです。内大臣でなくともこのような婿を迎えられるのであれば鼻高々で自慢のひとつもしたくなるものでしょう。
「夕霧よ、今宵は一段と男ぶりがよいな」
内大臣は堅苦しい挨拶は抜きにして気軽に夕霧に声をかけると、貴賓をもてなす席へと夕霧を導きました。
これは伯父上は本当に私に雲居雁を許してくれるのだ、そう感じた夕霧は感動で目頭が熱くなりましたが、泣いている場合ではありません。
しみじみと喜びを噛みしめながら、春の宵に身を委ねました。
 
月が昇り、辺りは霞がかかって薄ぼんやりとした風情のある宵です。
うっすらと闇に漂う花の香りが心地よく、奏でられる楽の音も心に沁み入るようです。
「藤の花はわれら一門の象徴たる花ですが、春になって早々に散ってしまう桜を送ってから咲くというのが奥ゆかしいとは思われぬか?」
内大臣はご酒を召してすでに上機嫌です。
静かにかしこまる夕霧を前に古歌を口ずさみました。
 
春日さす藤の裏葉のうらとけて
     君し思はばわれも頼まむ
(あなたがうちとけて心を開いてくれるならば、私はあなたに愛娘を委ねよう)
 
内大臣の意を得て、柏木が藤の一房を手折って夕霧の盃へ添えました。
内大臣は夕霧の緊張を解くべく改めて詠みました。
 
紫に託言(かごと)はかけむ藤の花
    まつより過ぎてうれたけれども
(おめでたい日がのびのびとなってしまいましたが、それも当方の責任。恨みますまい。今日の慶びの日を心から祝いましょう)
 
そのように言われ、夕霧は嬉しくて盃を持ち、しなやかに拝舞しました。
この盃はまごうことなき舅から婿へのものなのです。
 
夕霧:いくかへり露けき春をすぐしきて
        花のひもとく折にあふらむ
(幾度となく悲しい春を過ごし、今日のこの許しを得たことはこの上もない喜びです)
 
柏木も親友を言祝ぐ歌を口ずさみました。
 
たをやめの袖にまがへる藤の花
    見る人からや色もまさらむ
(私のかわいい妹もよい婿を得て、人生の花が開くことでしょう)
 
柏木の弟、弁の少将はいささか茶目っ気のある貴公子です。
わざと催馬楽の『葦垣(あしがき)』などを自慢の美声で唄います。
これは男が女を盗んでいくという歌なのです。
「なんという歌を唄うことか」
内大臣は笑むと、一緒になって“女が盗まれた”の部分を“我が家に婿がやって来た”と変えて唄いました。
親子の息はぴったりで、どうやら弁の少将のユニークな性格は父親譲りのようです。
一同はどっと笑いに包まれて、夕霧も今は心の底から内大臣と目を合わせて笑い合いました。

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