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紫がたり 令和源氏物語 第三百八十四話 横笛(一)

 横笛(一)

柏木がこの世を去り、その年はまるで色もなく過ぎてゆくようでした。
今上は管弦の遊びなど、柏木を思い出しては何も楽しくはない、と臣下達の進言をことごとく退けられます。心裡で喪に服しておられるので、どうにも興が乗らないというのは致し方なきこと。
致仕太政大臣や源氏の院も慎んでいられるのに宴など、という世の空気を汲んでのことでもありましょう。それにならうように貴族達も身を持しているのでした。

源氏の生活は今、紫の上と薫君とで多くを占められております。
女三の宮は出家したあと、まるで心にかかることが霧消したように徐々に回復してゆき、長く昼の御座所におられるまでにお元気になられました。
それは喜ばしいことではありますが、宮はまったく子育てを放棄されてしまわれたようです。
御父・朱雀院から注がれた愛情を女三の宮は一体どのように思し召しておられるのでしょう?
受けた愛情というものはその人の中に沁み込んで新たな愛情を育んでゆくものですが、そもそも情緒の乏しい御方ゆえに我が子といってもなんとも感じられないのでしょうか。
なんとも稚拙なうえに薄情な、というのは源氏が宮を侮った感慨に過ぎません。
源氏はご存知ない。
宮の裡に生まれた人としての芽生えを。
そうして絶望してまた元の繭に閉じこもるように黙した彼女の心を知りはしないのです。
なんと憐れな女三の宮でしょうか。
母親に捨てられた子を不憫に感じた源氏は以前にも増して昼間に六条院の東の対に足繁く通い、薫の世話をしているのです。
それは薫君を慮る紫の上の意向でもあるので、源氏は心置きなく愛息子の養育に向き合えるのでした。
紫の上の体調も安定しており、その年の夏はそれほどの暑さではなかったことが幸いでした。秋口には源氏と共に六条院の西の対に戻ったのです。
源氏は毎日のように薫の元を訪れては、今日新しくしたことなどを紫の上に報告します。
それを紫の上は我が子のように顔をほころばせて喜ぶのでした。そのたびに源氏は心が洗われるように思うのです。

ああ、上が笑っている。
なんと清らかな笑顔であろうか。
まったく薫と同じで無垢な者というのは人の心を浄化して癒やしてくれるものなのだ。

それにしても年々一年が過ぎるのが早く感じるようになるもので、その感覚は現代の我々も千年前の平安貴族も同じでしょう。
その年はまるで諒闇さながらにひっそりと暮れて行ったのです。


新春の言祝ぎは穏やかにその年の始まりを祝うものです。
薫は二歳になりました。
平安時代では数え年でしたので、生まれて一歳。
正月一日に二歳ということになります。
事実上は生まれて十ヶ月ほどの薫ですが、すでに二歳ということになるわけです。
それでも薫は同じ年頃の子供とくらべると体つきもしっかりしていて、活発に手足をバタバタと動かしております。そして表情がころころ変わるのがまた可愛らしいこと。どうやら源氏が顔を覗き込むと、いつでも見守ってくれる父だと認識しているようです。源氏の顔に触れようと手を伸ばすのも無邪気で愛らしいのでした。
鈍色の春は重々しく、男踏歌なども控えられております。
そうして薫はその正月に初めて這うようになりました。
その成長に目尻が下がる源氏は一番に紫の上の知らせようと西の対に急ぎ戻りました。
見ると廊の紅梅がふっくらと蕾を膨らませて、はや一輪目が花を咲かせておりました。
「歳寒三友の梅は、はや春を告げるか・・・。どれ紫の上への手土産にしよう」
下人に採らせると、ほんのり薫る芳香が辺りに漂いました。

西の対の御座所では紫の上が娘の明石の中宮にあてて、見舞いの返事を書いておりました。さらさらと美しい手蹟もしっかりと、手の力もだいぶ回復されたようである、と源氏は微笑みます。
「紫の上、聞いておくれ。今日は薫が初めて這い這いをしたのだよ」
「まぁ、それは喜ばしいことですわ。恙なく成長されておられますのね」
「夕霧は母の実家で養われていたので、幼子の大きくなるのを間近に見たのは薫が初めてなのだが、なかなか感動するものだね」
「あなたが子煩悩だったなんて知りませんでしたわ」
「私も初めて知ったよ。さあ、お土産だよ。もう春だね」
紅梅の一枝を上に差し出すと、芳しい香を愛でる横顔が何とも清く美しい。
「あなた、中宮にこの枝を差し上げてもようございますか?」
「もちろんだとも」
紫の上はにっこりと微笑むと、したためたばかりの手紙を枝に結びました。

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