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紫がたり 令和源氏物語 第四百二十九話 御法(七)

 御法(七)
 
いくら源氏が紫の上を手放したくなくとも死は穢れなのです。
たとえ生前の姿そのままの美しい骸であっても葬送するのが定められた理。
ねんごろに弔うことこそ上の為にもなるのだ、と源氏は気力を振り絞りました。
しかしながら拭っても拭っても溢れる涙を留める術はありません。
 
死者を送る鳥辺野は寂しいところです。
季節は秋。
すすき野原に吹きすさぶ風が泣いているようで、荒涼とした大地に立ち枯れる野の花が物悲しさを催させます。
 
なんと辛いことだろう。
よもや上と分かたれる日が来ようとは。
 
源氏は人生の半分以上をこの人と過ごし、まさに半身ともいうべき存在だったのです。それを失うということは、自身をも失うということに他なりません。
 何一つ滞ることなく重々しく儀式は執り行われ、紫の上は煙となって天に昇ってゆきました。
立っていられないほどに憔悴した源氏は隋人に支えられながら、その遠く立ち昇る煙を見て、己の心ももろともに死んだのを悟りました。
 
人はみな一人で生まれ、死んでゆくもの。
たくさんの出会いがあればそれだけの別れもあるのです。
わかりきっていることでもそれは寂しく、身を裂かれるほどに悲しいものなのです。
源氏は幼い頃に母と死に別れ、祖母も亡くし、あまりにも多くの人々を送ってきました。
その中には夕顔や葵の上、藤壺女院などいまだ若い盛りであった愛する人達も含まれております。
もはや最愛の紫の上にまで先立たれてどうしてこの世に留まれようか。
源氏はあの煙の後を追って自らも消えてしまいたいと願いました。
しかしながら自死は御仏に固く禁じられております。
罪障深き己が後の世で紫の上と会うことはできなくとも、魂は巡るというので、いつの世かでまた上と会うことができるならば、御仏の則に背いてはならないと自らを戒める源氏の君です。

もう気に懸かることは何もなくなってしまったように思われるので、いっそ仏門に帰依するのもよかろうと考えるものの、天下人源氏も心弱くなったものよ、と世間に嘲笑されるのも癪にさわるもの。
何よりこの哀しみばかりに支配された心では仏道修行にも身がはいらぬことでしょう。
源氏はせめてこの悲しみを忘れさせてください、と念じつつ、阿弥陀仏と唱える日々を送るのでした。

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