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紫がたり 令和源氏物語 第三百二十三話 若菜・上(十七)

 若菜・上(十七)
 
朧月夜の君と源氏。
一夜の邂逅で過ぎた歳月が埋められるとは、やはりこの二人には深い縁があるのでしょう。
長らく感じなかった人肌の温もりは朧月夜の姫の心を解いてゆくようで、それでいて甘美な背徳感に身を捩る姿は、源氏にはこの上なく蠱惑的で抗えないのです。
「またこのように逢ってしまうなんて、わたくしたちはよほどの悪縁に結ばれたのね」
朧月夜の姫は泣いておりました。
「悪縁といわれても私はあなたと再び逢うことができたのが嬉しいですよ。そうでなければこの恋は終れないと決意してきたのですから。しかしもう離れられなくなってしまった」
「相変わらずあなたは無責任な方ね。わたくしたちがまた隠れて逢っているなど人に知られれば、これほど恥ずかしいことはないでしょうに」
その拗ねた様子も可愛らしい。
すでに陽は上り、小鳥の囀りが別れの時を告げても思いきることができないのです。
「覚えておられますか?あなたと逢った初めての宵を。ちょうど今時分でしたね」
「忘れられるはずもありませんわ」
差しこんでくる陽を頼りに朧月夜の姫は源氏の姿を確かめました。
まさに男盛り。
風格の加わった御姿は眩しく、艶めかしい。
「わたくしはもう若くはありませんのよ」
「なんの、あなたはきっと兄上に大切に愛されてきたのでしょうね。しっとりとした優しげな風情が加わったようだ。若き日の情熱的な姿も懐かしいが、互いによい年を重ねたというわけだね」
「いいえ。今のわたくしはあなたへの愛とそれを苛む二つ心に挟まれて出来上がったものなのだわ。それは愛でもあって、憎むことでしたもの」
「ああ、たしかに。だからこんなにも魅力的なのだ」
そうして抱きしめる源氏の腕は懐かしい温もりに満ちているのです。
源氏は身繕いを整えると庭の松にまつわるようにたわわに下がる藤のひと房を従者に取らせました。
 
沈みしを忘れぬものをこりずまに
     身も投げつべき宿の藤波
(あなたに溺れてかつて須磨に流された私であるのに、また性懲りもなくあなたという海に身を投じるとは、私達の縁はそれほどに深いのでしょう)
 
身を投げむ淵もまことの淵ならで
     かけじやさらにこりずまの波
(共に身を投げようとあなたが言ったとしても、その恋の淵は真の愛ではございませんでしょう。今さら恋という波にさらされて袖を濡らすことになるのも愚かしいことですわ)
 
朧月夜の煩悶に惑う姿はかつての恋を新しく生まれ変わらせたようだと源氏には新鮮に感じられました。
そうしてやはり最後まで拒みきれないところがこの姫の弱さでもあり、鷹揚さでもある。

いつまでたっても源氏の心は漂うばかり。
この秘事についても紫の上はどう思うのか。
牛車に乗り込み現実に引き戻されるとようやく考えに至る君なのでした。

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