見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第二百九十九話 藤裏葉(四)

 藤裏葉(四)
 
雲居雁が一人せつなく胸を痛めていても、時は無情にも流れていくもので、とうとう藤の宴が催される当日がやって来ました。
上品な香りで満たされた御座所で雲居雁は女房たちに念入りに身繕いをされました。
化粧を施した顔は匂うばかりの美しさで乙女らしい恥じらいが初々しく感じられます。
その瞳に宿る憂いは艶めかしく、姫はまさに今を盛りと咲き誇る藤の花のようでした。
 
内大臣は料紙を念入りに選び、高雅な香をほんのりと焚き染めて、ただ一首さらさらと歌をしたためました。
 
わが宿の藤のいろ濃きたそがれに
    尋ねやは来ぬ春の名残りを
(私の庭にある藤<雲居雁>は今を盛りと咲き誇っております。春の名残りに愛でに参られませ)
 
内大臣は柏木を呼ぶとこの文を見せたので、柏木にはこれだけですべてがわかりました。
「柏木よ、そなたにこの遣いを頼みたい。鄭重に夕霧を迎えるのだぞ」
内大臣は下人に立派な藤の一房を採らせて、その文と共に柏木に託したのです。
柏木は夕霧の気持ちを知っていたので嬉しくてなりません。
とうとう夕霧の純情が報われるのだと思うと我が身のように熱いものが込み上げてくるのでした。
 
夕霧はこの歌を見て伯父の声が耳元に聞こえるような気がしました。
“夕霧よ、長の間よく耐えた。雲居雁をお前に許す。いざ、威儀をもって堂々と我が邸に参られよ”と。
すぐに返事をと筆を取りましたが、気持ちが昂ぶって思うような歌も浮かびません。
 
なかなかに折りや惑はむ藤の花
   たそがれ時のたどたどしくは
(夕闇に手元もおぼつかず、うまく花を手折れるかどうか心配です)
 
「柏木、なんだか緊張してしまって歌もよく詠めないよ。伯父上には君からうまくとりなしておいてくれたまえ」
「なんの、私が随身となって御身を妹の元まで誘おう」
柏木は大儀そうに胸を張るものの、目は笑い、愛嬌たっぷりです。
「こんな気の置ける随身はお断りだよ。それよりもその手紙を早く伯父上に届けてくれないか。私はちょっと六条院に、父上に報告していきたい」
「それもそうか。では、邸で待っているぞ」
柏木はそう言って嬉しそうに目配せすると帰っていきました。
夕霧は急いでその手紙を懐に忍ばせて六条院へと向かいました。
源氏は夕霧が紅潮した面持ちでかしこまっているのを普段はそう感情を表さぬのに珍しい、といつもと様子が違うのを一瞥で悟りました。
「夕霧、何かあったか?」
「は、伯父上からお文をいただきまして」
源氏はその藤色の手紙を開くと口元に笑みを浮かべました。
「よかったではないか。内大臣もこれで大宮に対する不孝の罪が消えようというものよ」
「やはり私が思った通りの解釈でよろしいのですよね」
「うむ。夕霧よ、これまでよくぞ待ったものだ。胸を張って出掛けるがよい。・・・が、ちとその直衣は花婿には相応しくないな。待っていなさい」
夕霧は二藍の濃いめの直衣を身に着けておりましたが、どうにもそれが役人らしい感じがしてこの君の美貌を損なっております。
内裏に出仕している際にはよいのですが、晴れの宵には風情が乏しいものです。
源氏は自分の装束の中でも立派なものを選り、下襲も美しい色合いのものを合わせ夕霧に与えました。
そういえば、その昔右大臣自慢の藤の宴に招かれた折にもこうして亡き父・桐壺院が装束を見繕ってくださったことがあったなぁ、などと源氏は己も同じように父親らしいことをしていることを感慨深く思い出すのでした。

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

#古典がすき

4,040件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?