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紫がたり 令和源氏物語 第二百七十八話 真木柱(九)

 真木柱(九)
 
灰まみれの一件で北の方の仕打ちに右大将はすっかり愛情も冷めてしまったようです。これ以上の怪我にでもなったら大変だと北の方の住いには寄り付きもしません。
自分が住む棟に子供たちを呼び寄せて、久しく顔を合わせなかったことを詫び、親子睦まじく暮らしてゆこうと決めました。
一番上の姫は十二歳になり、近頃乙女らしさが増しております。
二番目の太郎君は十歳ばかり、童殿上として宮中にお仕えしています。
そして三番目の次郎君は八歳、まだまだ幼く父が恋しくてなりません。
「しばらく会えなかったが元気にしておりましたか?」
父が以前と変わらぬ風であるので三人の子供たちは安堵しました。
女房や乳母たちが近頃父に新しい妻ができて人が変わったようだと悪しく噂していたからです。
姫は父の袖に血がにじんでいるのを目敏く見つけました。
「お父さま、その腕は・・・」
「いやなに、たいした怪我ではないのだよ」
右大将はそう取り繕いましたが、姫にはそれが母が父を傷つけたものなのだと容易に察せられました。母が時折人ではないように恐ろしい振る舞いをすることは子供たちも知っております。
小さい姫は父上がお気の毒で、
「とても痛そうだわ。早く治りますように」
そっと袖に触れました。
この姫はそうした事情などがもう理解できる年齢です。
新しい妻を娶ったとしても、それがこの不幸な父の慰めになるのであればそれでよいとさえ考える心優しい娘なのでした。
 
夕暮時、右大将は出かける身支度を整え始めました。
その世話をするのは木工(もく)の君という女房です。
この女房も実は右大将が密かに愛人としている者で、自分が顧みられないことを内心恨んでいるようです。
昨晩の直衣がところどころ焦げているのを手に取り詠みました。
 
ひとりゐてこがるる胸の苦しきに
      思ひあまれる炎とぞ見し
(北の方さまがあなたを想って焦がれた胸の炎があなたの直衣を焦がしたのでしょう。北の方さまがお気の毒ですわ)
 
上手く皮肉を織り交ぜて詠んだと思っているのか?
右大将はなぜこのようなつまらない女に手を出したのかと悔やまれる。
以前は美しいと思っていた容貌も玉鬘姫を知った身には物足りなく、恨み言を言うような身分ではあるまいに、と無言でその場を去りました。
 
六条院に着いてみると相も変わらずその庭の敷石のひとつさえも輝いて見えます。
ましてや玉鬘姫の美しさは一晩見ないだけでもさらに光輝を増したように思われる右大将です。
「お返事をお待ちしていたのですが」
「体調を崩しまして、寝込んでおりました」
玉鬘はつんと澄まして横を向きます。
そんなつれない仕草も年若い姫らしく可愛く思われて、なんでも許してしまえるのは恋ゆえなのでしょうか。
まったくこの人を見ないではもはや生きてはゆけぬ、と右大将は益々姫を愛おしく感じるのでした。

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