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紫がたり 令和源氏物語 第四百四十七話 幻(十六)

 幻(十五)
 
毎年十二月の十九日から二十一日には御仏名(おぶつみょう)という宮中行事があります。
三夜にわたり、三世(前世・現世・来世)の諸仏一万三千の仏名を唱えて罪の懺悔、滅罪を祈願するという習わしで、このことによって一年の罪が雪がれて、年を締めくくるという重要な行事なのです。
源氏は院とも呼ばれる人なので、参内せずに導師を招いて自邸でこの行事を行いますが、この年は大きな堂のある六条院にて催されることとなりました。
一夜は午後十一時頃から始まるので、陽が暮れてから上達部や親王方が続々と六条院を訪れました。
会が始まるまでの束の間、知り合い同士が和気あいあいと歓談しているところに源氏が姿を現し、堂内は一瞬しんと静まり返りました。
一年以上公に姿を現さなかった源氏は濃い直衣を身に着けて未だ喪に服している様子です。
しかしみなが驚いたのはその御姿がまるで衰えを感じさせぬほど若々しく、濃い直衣が却って容色を際立たせているところでした。
どことなく神々しさまで増して、まさに“光る君”と呼ばれた御方がそこにいらっしゃるのです。
「皆様がた、今宵はお集まりいただいてありがとう。ここにおられる方はみな紫の上の法要にもお越しくださった方々ですね。礼を申し上げるのが遅くなりましたが、あの折も心遣いいただいたことを感謝しておりますぞ」
ほんの短い挨拶ではありましたが、張りのある気高い声は昔のままである、と神仏の護りのあつい貴人にみなひれ伏しました。
二夜、三夜と尊い仏名が唱えられ、錫杖を打ち鳴らす音を源氏は感慨深く聞いておりました。
この六条院での法会も今年が最後のこととなろう、そう思うとその音も沁みいるように聞こえてくるものなのです。
僧侶たちが源氏の長寿を祈願するのを御仏が生に執着しているとお聞きになったら恥ずかしいことである、などと物思いは尽きません。
雪がはらはらと舞い始め、導師が退出されようとするのを源氏は御前に召して、柏梨(かやなし)の盃をとらせました。
この導師は古くから朝廷に仕えられていた方なので、源氏とは旧知の仲なのですが、老いた己に比べて時が止まったように光り輝いておられる君を前にしてそのありがたさに目が洗われるように思われるばかりです。
「君はよほど神仏の御加護のあつい方と見受けられますな。まさに光る君と呼ばれるにふさわしい」
「そのようなことはありませんよ。私も年をとりました」
「いやいや、この老いぼれと貴人のあなたとでは流れる時も違うようでございます」
源氏はそんな老僧に向かって詠みました。
 
春までの命も知らず雪のうちに
     色づく梅(むめ)を今日かざしてむ
(来年の春まで私の命はありましょうか。わかりませんもので、今日雪の中に咲き初めた梅を挿頭<かざし>と致しましょう)
 
しみじみとした詠みぶりに哀れをもよおしたのでしょうか。
老僧は涙を流して盃を受けました。
 
千代の春みるべき花と祈りおきて
    わが身ぞ雪とともにふりぬる
(御身を千年先も光り輝く花なれと祈った私ですが、この身はどうにも白雪にまみれて白髪頭の老人になってしまいましたよ)

ああ、このように類い稀なる御方も世を儚んでおられる、そのもののあはれに老いた僧はまた涙を流したのでした。

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