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紫がたり 令和源氏物語 第三百五話 藤裏葉(十)

 藤裏葉(十)
 
源氏三十九歳。
来年には四十歳ということになります。
今を生きる我々とは違い、平安時代の貴族というのは短命で四十歳で初老と言われ、めでたく齢を重ねたことを祝う風習がありました。
初老を迎えてからは十年ごとに盛大な御賀で長寿を言祝いだのです。
ともあれ太政大臣である源氏の御賀を祝う為に朝廷を初め世間でも大掛かりな準備をしております。
冷泉帝におかれましては、心密かに御父の賀であると、敬意を表して准太上天皇の位を授けることを定めました。
これは退位された帝と同等であるというものです。
本当ならば冷泉帝ご自身が位を下りて源氏に譲位したいところですが、それは以前に源氏自身によって退けられておりますので、准太上天皇という称号を改めて贈られたのです。
このことによって源氏は「六条の院」と呼ばれるようになりました。
 
位を退いた天皇というような重い身分になりますと、気軽に参内というわけにもいかず、源氏は太政大臣の任を内大臣に譲ることにしました。
秋の司召しということもあり、頃合いもぴったりです。
そして宰相の夕霧は中納言を拝命しました。
帝の信頼も厚く益々重んじられ、この若さにしては信じられないほどの出世ぶりです。あの六位の浅葱の袍を馬鹿にされて悔しい思いを糧に頑張ってきたすべてが報われたのでしょう。
 
夕霧は中納言となった夜に雲居雁の側近くに控える大夫の乳母に紫がかった白菊を差し出しました。
 
浅緑わか葉の菊を露にても
            濃き紫の色とかけきや
(あの時は浅葱色と馬鹿にされましたが、あなたは私が濃い紫の納言の袍を着るとは思いもしなかったでしょうね)
 
太夫の乳母は顔が赤くなるやら、青くなるやら、夕霧がそのような昔のことにいまだにこだわっていたのかと、己の過去の言動を恥じました。
 
二葉より名だたる園の菊なれば
     浅き色わく露もなかりき
(源氏の君の御子という名門の出であるあなたに誰が浅葱の袍を着ているからといって隔てをしましたでしょうか)
 
などと、苦し紛れに詠むのもたいそう気まりが悪い。
それでも太夫の乳母は夕霧が立派になられても姫を変わらずに想っていてくれたことを感謝せずにはいられませんでした。
 
中納言という重い身分になったからには太政大臣のお邸に同居というのもいささか考えもので、夕霧は亡き大宮と雲居雁と共に暮らしたあの三条邸に移ることに決めました。
それは昔馴染みの邸であるということもありますが、二人の結婚を望んでいた大宮の御霊が慰められるのではないかという気持ちもあります。
雲居雁にはもちろん異存はなく、秋の良き日に二人は揃って三条邸へと移りました。
三条邸では大宮亡きあとも生前から仕えていた者たちが邸をしっかりと守っておりました。その者達は夕霧や雲居雁がそこにいた頃からの馴染みですので、二人の結婚を心から祝福しています。
皆それ相応に年をとっておりますが、新しい主人が輝くばかりの若夫婦ということで、喜びで寿命も延びるような心地です。
昔はまだ丈の低かった樹木も枝葉を伸ばし、薄の叢は庭の大半に広がっております。
夕霧は昔の様子を残したままに庭を手入れさせると涼しげに遣り水を流して風情のある庭を作り上げました。
 
夕霧:なれこそは岩もるあるじ見し人の
        ゆくへは知るや宿の眞清水
(長くこの邸を守ってきた真清水よ、お前は昔慣れ親しんだ大宮=おばあ様がどこへ行ったのか知っているか?)
 
雲居雁:亡き人の影だに見えずつれなくて
         心をやれるいさらゐの水
(亡き大宮の姿を映さなくなったことも気付かぬ池の水がただ昔のように流れているのが物悲しい)
 
老い女房たちも口々にかつてを懐かしんで歌を詠みあったりしています。
夕霧も雲居雁も本来あるべき場所に戻ってきたようで、目を見合わせては幸せを噛みしめるのでした。

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