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紫がたり 令和源氏物語 第百十四話 明石(一)

 明石(一)

都では今年に入ってから天に不吉な兆しがしばしば見られるようになりました。
ずっと雨が降らないかと思えば、突然の長雨に見舞われたり、世の人々は朝廷の在り方が天にかなっていないからだと噂しあっておりました。
この時代では天子=帝の徳で天の恵みが施されると考えられていましたので、天変地異の予兆は帝の施政が理(ことわり)に背いた結果だとまことしやかに揶揄されているのでした。
朱雀帝は柔和で慈悲深い御方です。
けして徳のない方ではありませんが、帝が思い描くような治世かというと、弘徽殿大后や太政大臣の手前そうではありません。
何より罪なき源氏を追放したことは天への大罪である、と世間では近頃の天変を憂いています。
このままでは国が滅びるのではないか、と密かに言う者もいるようです。
朝廷でもこのような噂は囁かれ、帝は源氏に赦免を下そうと提案するのですが、大后が頑迷にそれを拒むので、帝はまた形ばかりの位であることに深い溜息を吐かれるのでした。

須磨の浦でも雨と風が相変わらず止まず、時折鳴る雷も一向に収まる気配がありませんでした。その様相はまさに世の末かと思われるほどに。
源氏は先頃の不気味な夢もあるので海の側にあるこの邸を去りたいと感じましたが、都に帰るわけにもいかず、さらなる深山へ分け入るも風雨におののいたと嘲られるのが恥ずかしく、結論の出ないまま邸に込められておりました。
せめてゆっくり休むことができれば何か方策も考えつくものですが、まどろむとまたあの異形の者がやってきて、
「宮に従い、舟で漕ぎ出しなさい」
と何度も言われるので、眠るのも厭わしく、激しく憔悴しきっているのでした。

この悪天候を案じて都の二条邸から遣いが須磨を訪れました。
陸路にて風雨に晒されながらの酷い身なりですが、危険を冒して浦まで辿り着いたので手厚くもてなします。
紫の上の文には、心細げながらも源氏の身を案ずる言葉が散りばめられていました。

 浦風やいかに吹くらむ思ひやる
      袖うち濡らし浪間なき頃
(須磨の浦ではきっと恐ろしく烈しい風が吹いていることでしょう。あなたが心配で私の衣の袖が涙の浪に濡れている頃には)

遣いに都の様子を尋ねると、この天変に人心は惑うているということでした。
風雨の為に上達部なども参内できずに政務が滞り、どこかの村では川が氾濫して多くの民の命が失われたのだとか。
土木を司る寮も機能していないわけですから、被害は拡大の一途を辿っているということです。
なんとしたことか、と源氏は胸が痛みました。

朝廷でもただならぬ兆しとして、仁王会(にんのうえ)を開くとの勅命が下されたということです。
仁王会とは、「仁王般若経」を拠り所として百幅の仏菩薩像と百の高座をしつらえ、百人の高僧を召して開く法会のことです。
仁王般若経は国王の在り方が記された経典であり、それを奉って鎮護国家、万民幸福を祈願するのでした。

天の怒りと思召すか、兄上よ・・・。

源氏は都の方角に頭を垂れて、兄帝の苦境を思いやるのでした。

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