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紫がたり 令和源氏物語 第百十五話 明石(二)

 明石(二)

都に思いを馳せる源氏の君でしたが、須磨の浦の暴風雨は益々烈しさを増していくようです。
雷が鳴り閃き、海は大荒れに荒れています。
高潮によって山ごとそっくり流されてしまいそうな勢いで、まさにこの世の末を思わせる恐ろしげな景色でした。
「前世の報いでこのような目に遭うのだろうか」
「父母、妻と子の顔も見ることが出来ずにここで果てるのか・・・」
従者の者達はみな異様な光景に恐れおののいて、あたふたと己を保っておられぬ様子です。
心細いのは源氏も同じですが、みなを流浪させたのは自分であると気を強く持ちました。
幣帛(みてぐら=幣物)を奉り、住吉大明神に祈りを奉げます。
「この浦一帯を守護される住吉の神よ、衆生済度の為に顕現し住吉に鎮座される尊き神なれば、どうか我々をお救い下さい」
その力強い源氏の声で従者達は我に返りました。
この君こそこのような浦で果てるようなことがあってはならないのです。
みな心をひとつにして一心不乱に祈りましたが、雷はいよいよ鳴り響き、轟音とともに白い矢となって邸に落ちました。
一瞬の後に雷火が燃え上がり、君の御座所に続く廊が焼けてしまいました。
「殿、こちらへ早く!!」
惟光が源氏を庇うように炊事場(おおいどの)へとお連れしました。
不幸中の幸いともいうべきか、雷火は激しい雨によって鎮められ、狭い炊事場で身を寄せ合っていると徐々に雨脚が緩やかになっていくようでした。
そうして夜になる頃には、星がまたたくほどに空は澄み渡りました。
「どうやらおさまったようですな」
惟光は安堵の溜息をつきました。
まず君の御座所を快適にしつらえなければと従者たちが暗闇の中をごそごそと動き回るので、源氏は、
「片付けなどは明日でよい。みなゆっくり休みなさい」
そう労いました。
とはいえこのような目に遭い、そうそう眠れるようではなかったので、読経でもして夜を明かそうと御座所を見ると、高潮がすぐそこまで上がって来ていた形跡があります。
海士達が心配して源氏の様子を伺いに来ていましたが、無事だとわかるとみな顔を明るくしました。
「もう少し雨が続いていたら高潮によって邸までも流されていたかもしれません。海士達も驚いておりますよ。これも日頃の信心で神が御守りくださったのではないかと」
惟光の言葉に、源氏は紙一重で難を逃れたことを知りました。

 海にます神の助けにかからずば
    潮のやほ(八百)あひにさすらへなまし
(海におられます住吉の神や龍神の助けがなければ、今頃この身は海の藻屑となっていたことでしょう。御加護いただきありがとうございます)

死ぬような思いはしたものの、敬虔に神々に感謝の念を奉げる源氏の君なのでした。

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