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紫がたり 令和源氏物語 第二百四十六話 常夏(六)

 常夏(六)
 
まったく弘徽殿女御にしても雲居雁にしても申し分ないというのに思うようにはならないものだ。ましてやあの近江の君などどうしろというのだ、そう内大臣は腹立たしく感じられます。
いささか気は進みませんでしたが、噂の君はどうしているかと姫を隠している北の対を訪れました。
すると、甲高い早口で何事か叫んでいるようです。
「少賽、少賽、小賽。たのんまっせぇ~」
内大臣が何事かと先触れの供を制してこっそり几帳の内を覗くと、どうやら双六に興じている様子です。
少賽(しょうさい)とは、賽子の数字が小さい目が出るようにというおまじないのようなものですね。
それを髪を振り乱しながら、早口で唱えているのです。
「やったぁ、少賽や」
思った通りの目が出たようで狂喜乱舞する近江の君に、内大臣は言葉も出ません。
「なにを、お返しや、お返しや」
そうして相手をしているのは五節の君と呼ばれる近江の君と共に引き取った姫の侍女です。
こちらも品がなく賽子の入った筒を掴んで振り回しております。
見世物としては面白いのですが、自分の娘となると頭も痛くなるものでしょう。
内大臣はごほん、と咳払いをすると、几帳をどかして姫に近づきました。
「姫や、双六をしているのかね」
内大臣がにこやかに話しかけると、近江の君はさすがに居住まいを正します。
「これはお父上さま、ご機嫌よろしゅう」
そう愛想よくにこやかに、一瞬の変わり身には驚かされますが、先の醜態を目の当たりにしているので鼻白む内大臣です。
「こちらの住まいには慣れましたか?忙しくてなかなかこちらに来られませんが、何か困っていることや不便ことなどはありませんか?」
「何もございません。お父上さまのお顔を始終拝見できないのが、双六のよい手が思いつかない時のようにもどかしく感じますが」
内大臣にはこの物言いといい、何よりぺらぺらと早口なのが気に障ります。
「姫や、もう少しゆっくりお話しになってはいかがかな?」
「はぁ。亡くなったお母上さまもそのように仰いましたが、私の早口というのはそもそもお産に駆け付けた坊さまがえらい早口でお経を上げられたので生まれつきなんです」
「それは大変な時に早口の坊さんに当たってしまったようだねぇ。では、出来る限りでいいから、ゆっくり話すよう心掛けてくださいね」
「はい」
そうして素直に頷く面はやはり鏡を見ているように似ておられる、まぎれもない御子であると内大臣は落胆します。
「お父上さま、そんな気ぃつかわんと、何でも致しますのでご用があったら申し付けて下さいませ。“働かざる者食うべからず”ですからお便所掃除でもきっちりやらせていただきますので」
真剣に訴えるところをみると気のよい優しげな娘であることがよくわかります。
あけっぴろげで下品なところはありますが、この君は頭もけして悪くなく、歌なども即座に詠み捨てる才覚を持っているのです。
ただ育ち故に身分に相応しい振る舞いというのはおわかりにならないのでしょう。
「いやいや、あなたは姫なのですから、そのようなことはなさらなくてよいのですよ。それよりお姉さまの弘徽殿女御が宿下がりしておいでなので、退屈を慰めに参上されてはいかがでしょう。姉妹なのですから遠慮することはありませんよ」
「いやぁ、嬉しい。お父上さま、よろしいんですの?」
この姫は父とはいえ相手が一国を動かす大臣であることなど何らおかまいなしのようです。
その嬉しそうな笑顔に何も言うことができなくなり、内大臣は近江の君の間を退出しました。

次のお話はこちら・・・


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