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紫がたり 令和源氏物語 第二百四十七話 常夏(七)

 常夏(七)
 
立派な身なりの側近たちを引き連れて去ってゆく父の後ろ姿を見送りながら、近江の君は溜息を漏らしました。
「うちの父君はなんて立派なんやろ。ねぇ、あんた。そう思わへん?」
近江の君はすっかり地を丸出しで五節の君に尋ねました。
「たしかにえらい権勢どすなぁ。うちはようわかりまへんけど、あんまり親が偉すぎるっちゅうのもどうですやろ?なんや貴族は冷たい感じがしますねん」
「あんた悔しいんか?うちはあんたとは身分が違うんやで。こうして大臣家に仕えるご身分になったんや、うちのおかげやろ」
「へぇ、感謝しとります」
「それよか、あんた。女御さまに会い行くんは早い方がええんやろか」
「そうどすなぁ。今晩でもええってお父君は言わはってたさかい、ええんちゃいます?」
「そうやなぁ。でもいきなり行ったらあかんわな」
「そうどすなぁ・・・。ほな手紙を書かれたらいかがです?」
「そうしよか。えらい気が張るわぁ」
近江の君はそうしていそいそと料紙を選び始めました。
「正直貴族っちゅうのは不便どすなぁ。今までやったら
“ちょっとええ?”
“ええで”
ってそれだけですやん。わざわざ手紙を書くやなんて」
「あんたなぁ。せっかく大臣の姫になったんや。夢壊すようなこといわんといて」
「へぇ」
五節の君は小さい頃から近江の君と一緒だったので遠慮がありませんが、この姫の為になるようにという忠誠心を持っています。
二人で恥ずかしくないようにと知恵を絞って手紙を書き上げました。
書かれた文は今が盛りと咲いている鮮やかな撫子に小さな結び文にして綺麗な下仕えの女童に持たせました。
「これでええやろ」
「非のうちどころもありませんわな」
近江の君と五節の君はにんまりと顔を見合わせました。
弘徽殿女御はさっそく噂の妹姫が手紙をよこされたのを、丁寧に開いてお読みになられました。
しかし、つと文を置かれたのを横目に見たお側に控える中納言の君が訝しく首を傾げます。
「女御、如何なさいましたか?」
「草仮名に慣れていないせいか、わたくしにはこのお文が難しすぎるようです。中納言が返事をしておくれ」
中納言の君は遠慮なくその文を覗きこみました。
「これはまた、たしかにお返事も難しそうですわ」
手紙にはおおよそこのようなことが書かれてありました。
 
御身とは同じ邸内という近い距離にありながらも今までお会いできなかったのは古歌にある『勿来(なこそ)の関』をもって隔てられているのではないかとお恨みしておりました。『知らねども』の古歌にあるように同じ姉妹と思えば懐かしく感じられ、心よりお慕いしている次第でございます。
そして紙の裏にもびっしりと文字が続いてあります。
 
そうそう今夕にもお伺いしようと思い立ちましたのは、古歌にある『いとふには逸ゆる』というように、厭われると一層心が逸るというものでしょうか。これもお慕いしているからこそなのです。
 
草わかみ常陸の浦のいかが崎
    いかであひみむ田子の浦波
(お慕いしているあまり、御身にお会いしたいのです)
 
そう歌で結んでありました。
困惑する中納言の君をよそに女房たちは手紙を回し読みしては忍び笑いをもらしております。
「返事をお待たせするのも失礼にあたりましょう」
中納言の君はそういうと筆を取り、白い上品な紙にさらさらとしたためました。
 
常陸なる駿河の海の須磨の浦に
    波たちいでよ箱崎のまつ
(遠慮せずにこなたにお出で下さいませ。お待ちしております)
 
近江の君の歌が意味もなく歌枕の名所を手当たり次第に詠みこんであったので、中納言の君も名所である地名を連ねて最後に「まつ=松=待つ」と締めたのでした。
「まぁ、わたくしが詠んだ歌だと思われたらどうしましょう?」
女御は恥ずかしくて顔を赤らめました。
「誰が女御さまの歌と思われましょう」
中納言の君が呟くと、女房たちはとうとうこらえきれずに声を立てて笑いだしました。

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