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紫がたり 令和源氏物語 第四百二十六話 御法(四)

 御法(四)
 
夏になると紫の上の容体は益々芳しくなく、例年通りの暑さであるというのに度々気を失うようなことが多くなりました。
胸が痛むとかどこが苦しいということはなく、ただただ儚げで、まるで残された命が抜け出るように衰弱してゆくのです。
紫の上の薔薇色であった頬は血の気を失い、日ごとその存在は透き通り、ついには消えてしまうのではないか、と源氏は気が気ではないのでした。
母と慕う紫の上の加減が悪いということで、明石の中宮はお主上の許しを得て二条院に宿下がりをされました。
中宮となられた御姿は神々しく、その品位はまさに国母たるに相応しく成長した娘を紫の上は誇らしく感じました。
愛する娘に会えたことで体から力が湧いてきたのでしょうか。
紫の上は久しぶりに体を起こして中宮と対面されました。
「中宮さま、わざわざお渡りいただいて。これほどうれしいことはございません」
「お母さま、そんな他人行儀な物言いはおよしになって。位は上がってもいつまでもお母さまの娘ですのよ」
 
ああ、お優しいご気性そのままに素直に成長された尊い御方。
慈愛に満ちた徳のある中宮として人々に愛されるであろう。
 
上は育て上げた姫が立派になられたことを、自分が世に生きた証となろうとしみじみと感慨深く胸が熱くなりました。
「中宮とお会いしてこんなに元気になるとは。もっと早くにお越しいただけばよかったねぇ」
源氏はほんの少しでも紫の上が気力を奮い起こすのを気休めと知っても喜ばずにはいられないのです。
「ねぇ、あなた。今日は姫とたくさんお話してもいいかしら?とても気分がよくて」
「仕方ない。今日はこの巣を明け渡すこととしよう。親子仲良く過ごすがよいよ」
源氏はそうして自分の居間に移りました。
中宮の為に神殿の東の対に御座所がしつらえてありましたが、身分が重くなった今ではそちらに移ってはそうそう紫の上を訪れることはできません。
中宮はあえて寝殿にて寝泊りをするよう願いました。
それは子供の頃に戻ったようで、母君にいつでも会えるのが嬉しくて、孝行を尽くそうと父・源氏と共に紫の上を見守っているのです。
「お母さま、今日は池の蓮が色鮮やかですわ」
「今日は空の色がなんと清々しいのでしょう」
このように毎日愛娘に声をかけられて、紫の上は張りのある生活を取り戻しました。
起き上がることは出来なくとも笑んでその御心に応えようとするのが意地らしく、中宮もこの御方の命の火がもう消えそうであるのを少しでも永らえればよいと心の隅で願っているのです。
紫の上にはこれ以上に永らえることはできないよう感じておりましたので、ふとことあるごとに悔いのないようにと女御に心残りを懇願される。
その内容がすべて側に仕えていた人たちの身の振り方や、中宮の御子のことたちであるのがこの人らしい。
中宮はそうしたことを聞くたびに、
「お母さまはすぐにそうして気弱なことをおっしゃる。ご病気はすぐに癒えますわ」
とそう母を励ますのです。
紫の上は健気にもそうして励ましてくれる娘の心がありがたく、けして涙を見せぬよう努めているのでした。
しかし愛おしんだ孫の三の宮がいらっしゃると人気のないのを確認してどうにも涙が溢れてきます。
「三の宮さま。わたくしはもう三の宮さまの行く末を見届けることはできそうにありません。大きくおなりになったらわたくしに代わってこの二条院の紅梅を愛でてくださいますか?」
「おばあさまはどこかへ行ってしまわれるの?ぼくは誰よりもおばあさまが好きなのに、どうしてそんなさびしいことをおっしゃるのでしょう」
さもあらんことです。
この幼い宮には今生の別れを説いて聞かせるのも難しいことでしょう。
「そうですねぇ。宮さまにはまだおわかりにならないかもしれませんが、人はみな次の世に旅だってゆくものなのですよ。わたくしはそうなったら愛する梅の木が心配なので、宮さまに見守っていただきたいと思うのです」
「おばあさまがそうおっしゃるならば、ぼくがこの梅を守りましょう。夕霧の大将のようにきっとしっかりお守りしてみせますよ」
「それは頼もしいお言葉です。それではこの梅の守は御身にお任せいたしましょう」
紫の上はそうして優しい笑みを浮かべて三の宮の手を優しく握りました。
その手は柔らかいものでしたが、ひんやりとして三の宮は幼心ながら心配になり、上の顔をのぞきこんだのでした。

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