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紫がたり 令和源氏物語 第三百四十二話 若菜・下(八)

 若菜・下(八)
 
源氏の思惑による住吉大社への願解きの旅は十月二十日と決められました。
源氏の院が御参詣されると世に知れ渡り、是非お供にという上達部は後を絶ちません。源氏も今回の参詣はことさら念を入れて華々しいものにしようと意気込んでおります。
住吉の神に奉じる舞人などは六衛府の次官達から背恰好の揃った美しい若者たちを厳選し、東遊(あずまあそび)の音楽方や陪従(べいじゅう=歌う人)も専門の者達を召しました。
奉納品も立派に整えて、供奉する上達部の装束や馬具まで揃えさせました。
 
参詣のその日は晩秋らしい高く澄んだ空がまさに神にまでも願いを届けてくれるようで、うってつけの日和となりました。
女君達の先頭の車には紫の上と明石女御が乗り、次の車には明石の上と尼君、女御の乳母が同乗しております。
その後を紫の上、女御、明石の上の供の女房たちの車が七、八輛ほど続くので、華やかな袖口などがこぼれるのがなんとも雅な眺めです。これは大した道行であるよ、と路の両脇には尊い方々にあやかろうと数多の見物人がひしめき合っているのでした。
源氏は難色を示す明石の上に是非尼君を同道するよう頼みました。
あの入道の願文を何度見ても感謝の念は耐えぬもので、入道に代わって尼君にこそ晴れの日を誇らしく思ってほしかったのです。
源氏は道中そっと尼君に歌を贈りました。
 
誰か又心を知りて住吉の
  神世を経たる待つに言問ふ
(この住吉の神に昔祈願したことを知っているのは私達だけですね)
 
尼君はつまらぬ身にこのような気遣いをしてくれる源氏をありがたく思いました。
 
住江をいけるかひある渚とは
   年経るあまも今日や知るらむ
(住江というこの浜に長年住んでおりましたが、生き甲斐のあるありがたいところだとは今日はじめて知りました)
 
寂びれた明石の浦におちぶれていた一族が春宮を傑出するという夢のような話は人々の間では語り草となっております。
またその栄華を見るまで長生きしている尼君を幸運の持ち主と羨み、褒めそやしたのです。
かの致仕太政大臣の今姫君・近江の君もご多分に漏れず、その強運にあやかりたいと例の双六の目を振る折には、
「明石の尼君、明石の尼君。たのんまっせぇ」
と唱えられているとか。
これも入道の功徳の賜物でありましょう。

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