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紫がたり 令和源氏物語 第三百四十三話 若菜・下(九)

 若菜・下(九)
 
住吉のお社は垣に這う葛も色づき、辺り一面が秋色に彩られておりました。
対照的な松の緑が鮮やかで、その向こうに静かに凪ぐ海がのぞめるのが神秘的な光景です。
源氏はお参りを済ませると松原にて舞楽を奉納させるよう指示しました。
東遊(あずまあそび)の舞楽なので、竜笛、篳篥(ひちりき)、和琴というシンプルな組み合わせの伴奏となりますが、松風が吹くこの場にあっては高麗唐土の仰々しい舞楽よりも情趣があるものです。
波の音が響くなかで竜笛の伸びやかな音色、和琴の重々しい響きが物寂びて却って優美に混じりあうのでした。
艶を抑えた黒い袍を纏った上達部の頭挿(かざし=冠に挿した花枝)が映えるように思えたものが、「求子(もとめご)」という曲が終わってからは雰囲気が一変しました。
楽の調子も華やかになり、若い上達部が袍の右肩を脱ぐと、その下に纏っていた色鮮やかな装束が顕わになりました。
蘇芳襲(すおうがさね)や葡萄染め(えびぞめ)の袖、濃い紅の衵(あこめ=下に着るもの)の袂が覗くのも艶やかな風情です。
舞人の袖が振られるたびに紅葉がはらはらと舞い散るようで、なんとも見応えのある情景に女房達も溜息を漏らします。
遠く二十日の月が海の上で冴えた光を放ち、夜気がぐっと冷え込んで、舞楽の奉納はおひらきとなりました。
 
女君達は部屋へ戻りましたが、源氏や上達部達は夜通し歌舞の遊びに興じるようです。
海風に乗って流れてくる楽の音と漂う潮の香りは都を出たことのない紫の上にとっては新鮮なものでした。
物語などに読む浜の香というのはこうしたものであるか、とそのわびしい風情も感慨深く思われます。
ずいぶん冷えたこと、と外を眺めると、先程の松原には霜が降りて様子が変わっておりました。
紫の上は小野篁朝臣(おののたかむらのあそん)が雪の朝の景色を眺めて詠んだ歌が今の情景に相応しく感じました。
 
ひもろぎは神の心にうつけらし
   比良の山さへ木綿鬘(ゆうかづら)せり
(この比良の山の雪は木綿鬘であろうか。それは神が私の志を受け入れられたという証に違いない)
 
木綿鬘とはそのお社に仕える神職が神事の際に身につける冠につけるものの事です。
木綿(ゆう)といいますが、実際には麻や楮(こうぞ)などの繊維のことで、麻や楮は成長が早いことから神がその成長を助けているものとされ、神聖な植物と言われてきました。
現在でも神饌には麻の苧が締められ、お浄めをする際の紙の束は中心を麻の苧で縛ってあるので大麻(おおぬさ)と呼ばれています。
我々にとっては身近な神社の鈴を引く紐にも麻が編み込まれているのです。
紫の上には源氏の参詣が神に受け入れられたように感じたのでしょう。
その松原に降りた霜が木綿鬘のように思えたのでした。
それを受けて、紫の上の傍らに寄り添った明石の女御が詠まれました。
 
住みの江の松に夜深くおく霜は
    神のかけたる木綿鬘かも
(住江の松原に夜深く下りた霜は神様がかけられた木綿鬘でしょうか)
 
側に控える女房、中務の君もそっと詠みました。
 
神人の手に取り持たる榊葉に
   木綿かけそふる深き夜の霜
(神職の人の手にある榊の葉に深夜下りた霜が白くあるので、木綿をかけ添えているように思われますわ)
 
 
祝子(はふりこ)がゆふうち紛ひおく霜は
      げにいちじるき神のしるしか
(祝子=神職が持つ木綿と見間違えるほどに白く下りた霜は、なるほどお二方が仰る通り、神が願いを受けたという証でありましょう)
 
「万歳(まざい)、万歳(まざい)」と聞こえてくるのもめでたさを添えて、こうした催しも結構なことではあると思いながら、自らも仏門に帰依することが出来ればどれほどこの心は休まろう、そう遠くをみつめる紫の上なのでした。

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