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紫がたり 令和源氏物語 第四百六話 夕霧(九)

 夕霧(九)
 
小少将の君は御息所にいらぬことを吹き込んだ者がいると思うと不愉快でなりませんでした。
御息所はようやく起き上がれるようになったばかりの身で、こうした煩わしさはさらにご負担をかけることとなりましょう。
それに宮のご心痛を慮るとどうにもやりきれずに憤りを感じるのです。
「宮さま、御息所さまがお呼びでございます。昨晩のことをお知りになられたようで。でもわたくしは宮さまは障子を少しも開けなかったと申し上げましたので、それでよろしいですわね」
宮は母君に知られて、どのようにお考えであるかと思うだけで羞恥心と後悔の念に苛まれるようです。
母上はわたくしが大将の君と契りを交わしてそれをひた隠しにしていたと疑われているのであろうか。
この女房たちも同じように考えているのではあるまいか、そう思うだけで情けなくて涙が次から次へと溢れてくるのです。
小少将の君は宮さまの涙に濡れてもつれた黒髪を梳き、昨晩夕霧に引かれて破れた小袖を着替えさせたりするうちにも宮が泣かれるのがお気の毒で仕方がありませんでした。
「宮さま、御息所さまはおわかりくださいますわ。少し御心を落ち着かせてくださいまし。そのように涙を流されては本当に何事かあったように思われますわ」
「ありがとう、小少将の君。わたくしは大将に侮辱されたのが悔しくて、身の潔白を疑われるのも情けなくて・・・」
「宮さまが潔白であるのはこのわたくしがよく存じております。どうかお気を静めてくださいませ」
小少将の君に慰められて、宮は少しずつ平静を取り戻され、陽が傾きはじめる頃に御息所の元へお渡りになりました。
御息所は目元を腫らし、すっかりやつれた愛娘が可哀そうで、強いて何か聞き出そうという気も失せてしまいました。
「お食事はなさいましたか?」
宮が首を横に振るのを見るとすぐさま支度を命じて自ら給仕なさるが箸もつけられないのがおいたわしい。
宮は御息所のご容体がよろしいのをほっと胸を撫で下ろしていらっしゃいますが、ただ辛いとばかりお嘆きになっておられます。
するとなんとも間の悪いことに夕霧の大将からの手紙が届けられたもので、宮は気まずく、御息所はそれを早く見せるように強いられる。
御息所はこうなっては夕霧に宮を赦される気もあるので、その手紙の内容が気になるのです。
しかしながら最初のお手紙の存在をご存知もなく、こちらの手紙には宮のつれなさへの恨みばかりが綴られているのです。
よりにもよって話がこじれるような方にばかり向いてゆくのはやはりこのお二人にはご縁がなかったということなのでしょうか。
夕霧の文は見事な手跡で思いの丈が綴られておりました。
 
せくからに浅くぞ見えむ山川の
   流れての名をつつみ果てずば
(山川の流れのように私達の噂は世に流れ出ることでしょうから、私を隔てられると却ってあなたの心根が浅く見られるというものですよ)
 
宮に恋い焦がれて求愛する内容ならばいざ知らず、この取り澄ました気色で宮を軽んじる手紙を御息所はそれ以上読むことができませんでした。
とどのつまり今宵はお出でにならぬということか。
正式な結婚を望むのであれば三日通わねばならぬのが世の習い。
それを尊い姫宮をなんと心得ているものか。
御息所は憤りのあまりお加減が悪くなり、臥してしまわれました。
しかしこのままではどうにも気持ちが収まりません。
「硯を近うお持ちなさい」
御息所は起き上がると涙を流されながら、力の入らない手で必死に手紙をしたためられました。
ほんの数行のお手紙でしたが、それを結び文にすると御簾の外へ出し、そのまま倒れ込むように臥せられて、これまでにないほどに苦しまれました。
「早く阿闍梨を。また例の物の怪の仕業でございましょう」
女房の悲鳴にも似た訴えで邸は俄かにあわただしくなり、再びものものしい祈祷が始められ、宮はおろおろと心細く母君の無事を願うばかりなのでした。

次のお話はこちら・・・


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