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紫がたり 令和源氏物語 第四十話 末摘花(五)

 末摘花(五)

朱雀院の行幸という大きな催しが控えているため、普段は静かな内裏の控えの間でも微かに楽の音などが響くようになり、もちろん源氏、頭中将は重要な役を任されているので、左大臣邸に籠って打ち合わせや練習などに追われ、女性たちの元へ通う機会も減っておりました。
それでも源氏はかの御息所の元へは折を見て抜け出して通いましたが、どうにも故常陸宮の姫の処へはなかなか足が向かないのです。
そう思っているうちに、一月、二月と過ぎ、季節はもう秋になっておりました。
それを薄情と思った大輔命婦は恨み言を言う為に源氏の控えの間にやって来ました。
さすがの姫君もここのところ源氏の訪れのないことを気に病んでおられるようです。
まわりの老女房達があまりに嘆くので、自分の状況というものをようやくお考えに至ったのでしょうか。それとも会えない時間が純粋に源氏の君への想いを育んでおられるのでしょうか。
塞ぎこんでおられるという姫のご様子を聞くとやはり源氏の君も哀れに感じられたのでしょう。
「姫にもののあわれや男女間の機微を学んでもらいたいと考えているので、わざと距離を置いているのだよ」
そう言い訳をしました。
確かにあまりにも世間離れした姫だったもので、人並みには物を思うようにはなったようだ、と命婦は妙に納得しそうになりましたが、それは別の話で、君の仕打ちは身分高い姫君には失礼この上ないものです。命婦は諦めにも近い深い溜息をつきました。それでも何よりこの源氏の君の親しみやすい笑顔を見るとそれ以上文句も言えなくなるのです。
まったく罪な御方だわ、と嘆息せずにはいられないのでした。

命婦の訴えもあり、行幸の準備が一段落すると源氏は故常陸宮の邸に足を向けるようになりました。
夜を重ねれば互いに親しみも湧いて別の絆でもできるかと思ったものの、やはり姫は他の女人とは違うようです。
夕顔と過ごしていた時は互いに隠すことなく屈託なく笑い合っていたものだ、と思い返すと、どうにかして姫の素顔を見たくなってしまうのは男の性というものでしょう。

ある初雪の朝、源氏は庭の景色を愛でようと姫を端近に誘いました。
恥ずかしがる姫でしたが、老女房たちも、
「女人は殿方のいうことに素直に従う方が可愛らしいですよ」
そう勧めるもので、やはりそこは強情な気質の姫ではないらしく、しずしずと源氏の横にいざり寄りました。
「清々しく美しいではないですか。一面の銀世界というのもなかなかですね」
などと語らいながら、目の隅で姫を盗み見て、源氏は愕然としました。

清々しいまでに、見なければ良かった・・・、というのが率直な感想でしょう。
姫の顔は面長でおでこはでっぱり、何よりその鼻が普賢菩薩のお乗りになる象のように長く垂れて先は妙に赤く染まっているのは、何故ゆえか。
来ている単衣も元の色がどんなものかもわからぬほどに色あせて、上には毛皮のような皮衣を着ているので、なるほどこのように骨が出るばかりに痩せておられれば寒くて仕方がないと思われる・・・。

男女の間ではすべてをあからさまにするべきではないと源氏は改めて思い知った次第です。
ただこの姫君の姿の良いところといえば、黒々と豊かな髪が小袿の裾からまだ後ろにこぼれるように立派な様子です。
扇で顔を隠して後ろから眺めればまったくの美女の風情であるよ、人には必ず長所が備わっているものだ、と笑みがこぼれる君なのでした。
源氏は去り際に姫に詠みました。

 朝日さす軒の垂氷は解けながら
       などかつららの結ぼほるらむ
(朝日があたって軒に下がったつららはとけていくというのに、あなたの心はいつまでも凍ったままで、わたしにうちとけてはくれないのですね)

姫はやはり歌などは苦手なご様子で、口元を袖で隠しながら、「むむむ」と漏らすのも一風変わっていらっしゃる。
見てしまったからにはこの姫は自分がお世話するしかあるまいな、と逆に心が定まった源氏の君であります。

二条邸に戻ってからは姫の装束のみならず女房や使用人のものまで一式揃え、邸を手入れする下人なども多く遣わしました。
姫の器量が人並みならばこうまでしなかったものを、却って放っておけなくなってしまったというのは、いかにも情を断ち切れない源氏らしい男気というところでしょうか。

 なつかしき色ともなしに何にこの
       末摘花を袖にふれけん
(懐かしい女というわけでもないのに、私はどういう因果でこの末摘花=紅花・鼻の赤い女、を手に入れたのであろうか)

源氏は心密かに故常陸宮の姫に末摘花(=紅花)というあだ名をつけました。

次のお話はこちら・・・


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