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紫がたり 令和源氏物語 第二百七十一話 真木柱(二)

 真木柱(二)
 
それは月が無く、やや強い風が吹く晩でした。
いつもよりも闇が濃く感じられ、こんな夜こそ忍ぶ者の姿をすっぽりと覆い隠してくれるようです。
さわさわと木々がさざめくのも侵入者の気配を消してくれます。
弁のおもとは足を忍ばせながら右大将に囁きます。
「今宵は乳母などももう休んでおりますが、あまり声を高くすると人に気付かれます。女人というものは傷つきやすいので、けして無体なことをなさってはいけませんよ」
「うむ」
そう短く答える右大将の額には汗が滴り、膝は緊張のあまりかたかたと震えております。
日頃忍び歩きなどなさらぬ生真面目な御方なので、こうした場面には慣れていないのでしょう。
なんと可愛らしい御方か。。。
弁のおもとにはそんな姿も好もしく感じられるのでした。

玉鬘姫はまさか右大将が忍んでいるとも知らずに、草紙などを広げてくつろいでいるところでした。
ふと人の気配を感じたので女房かと思い、気軽に声をかけます。
「弁、面白い草紙を頂いたのよ」
しかし几帳の向こうからは何も返事がありませんし、嗅ぎなれない香りが漂ってきます。
玉鬘が訝しく首を傾げると、几帳がぐい、と横に押しやられて大きな男が現れました。
「あっ」
玉鬘が声をあげると、男は、
「どうか大きな声は出さないで下さい」
狼狽しながら低頭しました。
「私は以前からお手紙を差し上げておりました右大将です」
玉鬘は驚きましたが、相手はじっと姿勢を低くしているので取り乱すのも見苦しいことと袖で顔を隠して冷ややかに見つめます。
たしかにその男はあの行幸で見た髭黒の右大将なのでした。
「あなたが宮中に上がられる前にどうしても私の心を知っていただきたくて、やってまいりました」
「・・・。」
玉鬘の無言は右大将を非難しているようです。
右大将は口下手で女人が喜ぶようなお世辞も言えなければ冗談も思いつかないタイプですし、ましてや風流に恋心を打ち明けるなど到底できない気質なのです。
何も言いだせずにいるので玉鬘には却って余裕が出てきました。
「ご用件を承りましょう」
この男を侮るような態度が後に取り返しのつかないことになるとは気付かぬ姫君です。そもそもこの姫は源氏に慣れて男が側に寄る危険さに鈍くなっているようなのでした。
また常日頃から源氏が右大将の武骨さぶりを卑下していたのもこの御仁を軽く見る原因なのでしょう。
「このように忍んでこられて源氏の大臣はどのように思われるでしょう?」
ただもじもじとする右大将を小馬鹿にするように玉鬘は冷たく言いました。
「あなたが好きです。一生大切にします。どうか私の妻になって下さい」
右大将がようやくそれだけ言葉をしぼりだしても、風流の欠片もないこと、と玉鬘の目は冷ややかです。
どのように思われても今ここで引き下がれば生涯の後悔になりそうで、右大将は玉鬘の手を取り、強く抱き寄せたのでした。

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