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紫がたり 令和源氏物語 第二百七十二話 真木柱(三)

 真木柱(三)
 
玉鬘に髭黒の右大将が通ったという知らせは朝一番に源氏の元へ届けられました。
右近の君は自分の監督不行き届きが招いたことと、源氏の御前にずっと頭を垂れております。
源氏は内心動揺し、青白い嫉妬の炎にめろめろと身を焼かれる思いですが、それを表に出すことはできません。
「右大将はもう帰られたのか?」
「いえ、まだ玉鬘さまの御寝所におられます」
「うむ、こうなれば正式な婿と認めるしかあるまい。鄭重におもてなしせよ」
右近の君はこれは大変なことになったと足早に夏の御殿へと下がります。
何より姫の胸中を思うとやりきれません。
 
玉鬘はあまりのことで放心しておりました。
ただ涙ばかりが縷々と溢れてくるのです。
「あなたは源氏の大臣のものではなかったのですね」
右大将は玉鬘の髪に頬をすり寄せました。
無垢の乙女であったことが嬉しく、この朝日に見る玉鬘姫の美しい姿が眩しい。
その姫を手に入れたことが誇らしく感じられるのです。
しかしそれは男側の一方的な感慨にすぎず、玉鬘にとっては望んでこのようになったわけではないので、不愉快としか感じられないのです。
「源氏の大臣は獣ではありませんもの。わたくしの側に近寄らないで」
玉鬘は汚らわしいものを見るようにじりじりと退いていきます。

“女人というものは傷つきやすいので、無体なことをなさっていけませんよ”

弁のおもとの忠告を今さらながら思い出す右大将ですが、少しばかり遅かったようです。
それでも右大将は愛を注げばいつかは玉鬘も夫婦の愛に目覚めるのではないかと楽観的に考えております。
今は何より玉鬘を得たことが嬉しくて、姫の胸中を察することもできません。否、例え冷静になっても女人の心を推し量るような繊細さは持ちあわせておられぬ御仁なのでしょう。
玉鬘はまるで野分で無残になぎ倒された草花のようで、ただただ己の運命を呪わずにはいらないのです。
それを考えると源氏の懸想なぞはそよ風のようなものでした。
わたくしはこのむさくるしい獣のような男の妻になる運命であったのか、そう打ちのめされて、悲しくて、また涙がこぼれてくるのでした。
 
 
弁のおもとは自分の局で息を潜めておりました。
右大将が首尾よく姫と契りを交わしたようですが、朝から女房たちが騒がしく、殺気立っているのは奇妙な光景です。
もしも夫婦になられたのであれば玉鬘姫の御心が右大将を許したのだと弁のおもとは思っておりました。
きっと右大将の真心が通じたのだ、と。
しかしそうであればここまで女房たちが騒ぐはずがありません。
右近の君は昨晩姫の側にいるはずであった弁のおもとの局へとやって来ました。
「弁、出ていらっしゃい」
その声には抑えた怒りが籠っております。
弁のおもとが几帳からにじり出ると、兵部の君も従っており、目を泣き腫らした顔できつくにらんでいます。兵部の君は玉鬘の乳姉妹なので、姫の傷心を自分のことのように思って泣いていたのでした。
それではやはり右大将は力づくで姫を奪ったのだ、そのような御方ではないと信じていたのに・・・。
男を侮ることの危うさ。
どうあっても男の腕力に女人が敵うはずもないのです。ましてや右大将は武官の長、賢しいつもりで振舞った弁のおもとも己の迂闊さに血が引いていくようです。
「右大将を手引きしたのはあなたですね」
右近の君の静かな問いかけに弁のおもとは申し訳なさで俯きました。
「姫はあなたを信じていたのに。どれだけ御心を傷つけられたことか」
兵部の君は目に涙をためて弁のおもとを詰りました。
もはや何の弁明もできるはずもありません。

その日、弁のおもとは六条院を追放されました。
しかしそうしたところで時が戻るわけでもありません。
玉鬘姫は信頼していた女房に裏切られたことにも深く傷ついておりました。

次のお話はこちら・・・


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