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紫がたり 令和源氏物語 第二百二十六話 胡蝶(一)

 胡蝶(一)
 
三月弥生も二十日ばかりを過ぎた頃、もう晩春の候で花も衰える頃かというのに、紫の上の春の庭は今が盛りとそれは素晴らしい景色となっておりました。
春の御殿の咲き乱れた花々の芳香が庭から漂い、鶯の鳴き声が聞こえてくるのを、他の御殿に住まう女君や女房達はどれほど素晴らしい光景かと羨望の念を抱いております。
源氏もこの美しい庭を自分たちだけで楽しむのは惜しいと思い、盛大な宴を開くことにしました。
招待する貴族は名だたる親王や上達部、どなたも立派な方々ばかり。かねてからの目論見通り、妙齢の姫君をちらつかせて男達が狂奔するのを見てやりたいといういささか悪戯心の過ぎる君の趣向でもあります。
男踏歌のあの日、六条院を訪れた若者たちの多くが源氏の女君や女房たちの御簾からこぼれた艶やかな襲に魅了され、まだ見ぬ玉鬘姫に想いを寄せているのでした。
あれ以来玉鬘姫の噂は貴族達の間にまたたく間に広がりました。源氏が大切にかしずく美しい姫ということで、妻にと望んで毎日恋文が贈られてきます。今回の宴に招待された貴公子達は源氏や姫にいいところを見せようと装束なども念入りに選んでいることでしょう。
 
当日になると立派な牛車が数え切れぬほど六条院の前につけられ、着飾った貴公子達が続々と訪れました。
新芽を思わせる爽やかな直衣を召した若い公達や藤襲で落ち着いた雰囲気をかもしだす親王、山吹を挿頭(かざし)として艶やかさを演出する貴公子もおります。
源氏はそれらを見て、みな姫が目当てなのだな、と内心面白くて仕方がありません。
今回の宴はそうした若い貴公子達を眺めるのも一興でありましたが、やはり帝にもひけをとらぬ近年稀に見る規模の宴は権勢の証。そして四町もの邸を維持できる財力を得た栄華を示すものでもあるのです。
かつて弘徽殿女御の父君であった右大臣が邸のお披露目で藤の宴を催しましたが、それとは規模も違います。
ふと昔を思い出した源氏はあの大臣と自分もさして変わらぬものよ、と自嘲の笑みが浮かぶのです。権勢が大きくなればなるほど、それらを失うことに恐れを抱く。
須磨・明石を流離った源氏は今再びの栄華にも何時翳りがあってもおかしくはない、と心の隅では考えているのです。
 
さて、今回の宴は六条院に住む女人達を慰労するのも目的のひとつでした。
ちょうど秋の御殿には秋好中宮も御宿下がりをされております。しかしながら中宮という重いご身分では気軽に春の御殿を訪れるというわけにもいきません。
他の殿上人たちが数多おりますもので、まかり間違ってお姿を晒すようなことがあっては絶対にならないのです。
中宮はせめて仕える女房達を労おうと春の御殿の宴に参加するのを許されました。
「みなさん、宴に花を添えにおでかけなさいな。女別当もたまには楽しんでいらっしゃい」
中宮の御言葉に女房達はみな喜びましたが、常日頃冷静な女別当は表情を少しも変えません。
「わたくしは中宮様のお側に控えるので勤めですので、ご遠慮致します」
「そんなことは言わないで。いつも仕えてくれるあなたにこそ楽しんでもらいたいのよ。それにわたくしの名代として紫の上さまにご挨拶をお願いしたいわ」
「それでは名代は勤めますが、済みましたらこちらに戻ってまいります」
中宮はその厳格で几帳面なところが彼女らしい、と笑みをこぼされるのでした。

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