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紫がたり 令和源氏物語 第七十八話 賢木(七)

 賢木(七)

暗く沈んだまま年は改まり、諒闇(りょうあん=帝が父の喪に服すこと)ということで、御祝い事は控えられております。
以前ならば春の除目(じもく=官位の発表)を前に多くの者が源氏の君のご機嫌を伺う為に二条邸を訪れていたものですが、今年のあまりに閑散とした様子に、源氏はこれからはこのように人が離れて行くのだなぁ、これが時代の流れというものか、とせつなく感じておりました。源氏派と見倣されると然るべき官位も賜れない、そのような時代になったのです。

そしてこの度賀茂の斎院が喪に服されるので斎院の任を解かれました。
この斎院は亡き院の女三の宮ですので、このような措置がとられたのです。
次の斎院が速やかに選定されましたが、適当な姫宮がおられなかったこともあり、式部卿宮(しきぶきょうのみや)の朝顔の姫君に白羽の矢がたてられました。
いつも心のこもった文をやりとりし、ものの情趣をあの方ならば言葉もなく解してくれる、と慕っていた姫が斎院に立たれるということで、源氏の心は虚ろな風が吹き抜けていくような寂しさを感じ、またうちひしがれるのでした。


弘徽殿大后は院の尊い御遺志などお構いなしに日々源氏や左大臣に目を光らせてあれやこれやと辛いことをおっしゃるので、近頃源氏は参内も控えて二条邸に引きこもってばかりです。
左大臣にまで辛くあたるのは、まだ朱雀帝が東宮であられた時に亡き葵の上を東宮妃として所望したものの、源氏と娶わせたことを未だに恨んでおられるからで、このように感情的な醜い女の部分を剥き出しにして左大臣を排斥されようというのは浅はか極まりないのですが、大后は『我が世』とばかりにまったく御手をお緩めにはなりません。
源氏が万事控えめにしているので、弘徽殿大后はそれ以上のことはできませんでしたが、いつ何時でも隙があれば見逃さない心積りです。
異国(とつくに)などに例があるように、女が政事に口を出すようになっては国が乱れる元となるものを、若い帝は母君をお諌めすることもできず、いずれはその因果が御身にふりかかってくることもお察しになれない。
傀儡の如く、ただお優しいばかりの帝の世に人々は益々不安に包まれていくのでした。

源氏は左大臣も辛いことだろうと前にも増して足繁く左大臣邸に通うようになりました。
嫡男の夕霧はかわいい盛りで、「お父さま」とまつわりついてくるのも愛らしく、左大臣と大宮は源氏をいたわってくれるので、何とも居心地がよいのです。
三位の中将も源氏の顔を見るとつい嬉しくなり、
「なんだか嫌な世の中になりましたねぇ。この間までぱっとしなかった者が右大臣にゴマを摺って官位を賜ったらしく、私などには挨拶もしないんですよ。それまでは媚びていたのにねぇ・・・。おお、嫌だ」
などと、昔の調子そのままに快活に笑むのが心安く、源氏は大切な家族を改めてありがたく感じるのでした。

その年の二月に朧月夜の姫は尚侍(ないしのかみ)として入内されました。
本来ならば女御として入内するご身分でしたが、源氏とのことがあった為に低い身分に甘んじなければなりません。
それでも優美で貴族の姫らしい物腰はどの后達よりも勝っておられたので、帝はこの姫をこよなく御寵愛されました。
入内した頃には登花殿の奥まったところに局を与えられておりましたが、華やかな弘徽殿に移られて、眩しいばかりのときめきぶりに華やぐ尚侍の君(かんのきみ)でしたが、この思い出の弘徽殿にあっては密かに源氏の君をお慕いしていることをどなたもご存知ではないのです。

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