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令和源氏物語 宇治の恋華 第十八話

 第十八話 橋姫(六)
 
阿闍梨が持ち帰った京の香りは八の宮には懐かしく、近頃の話題なども新鮮で顔を綻ばせながら聞き入っておられました。
阿闍梨は例の薫中将のことも耳に入れておこうとなかば興奮気味にその僥倖を語られたのです。
「宮さま、私は数々の尊い御方とお会いして参りましたが、冷泉院にて宰相の中将にお会いしてその神秘さに打たれました。まるで御仏にでも出会ったような衝撃と申しましょうか」
「なんと、それはいったいどのような御方なのでしょう」
「はい。宰相の中将・薫君と申せばあの亡き源氏の院のご子息であらせられますな。源氏の君も稀なるご様子でしたが、薫君はその名の通りに芳しい香りが身から立ち上る神秘を備えておいでです。美しいご様子は言うまでもありませんが、その芳香はもしや尊い魂から上るものではと思われるほどなのですよ」
「そのような御方がこの世にはおられるのか」
「薫君は八の宮さまの仏教に関する造詣の深さをお話し致しますと、俗世にあって精進なさる御姿にいたく感銘を受けられましてなぁ。ぜひ教えを乞いたいと仰せでした」
「そのように尊い御方になんの私に教えることなどできましょうか」
宮さまはかつて仇なした源氏の院の御子ということでなんとも身の置き所のないように慎んでおられます。
阿闍梨はすべてを知ってその上で、宮に助言しました。
「心が御仏の弟子となるものであれば、過去の因縁・出自などは瑣末なことでございましょう。御身も仏弟子と思うからには新たな弟子に持てるすべてを享受なされるがよい。そうすることで御身も徳を積まれ、悟りに近くなられることでしょう」
阿闍梨の物言いがまるで菩薩の言のように思われて、宮は無言で深く叩頭したのでした。
 
 
薫はと言いますと、あの阿闍梨の語った八の宮の御様子がどうにも気になって仕方がありません。
そもそも宮がどのように生い立ったのか、そうしたことも秘されているもので、その事情を把握したく兄の夕霧を訪れたのでした。
阿闍梨の言いようと冷泉院のご様子で、過去になんらかの因縁があったことはそれと知れましょう。
薫は亡き源氏にも関わることと、兄に尋ねようと考えたのです。
 
夕霧は喜んで薫を迎え入れました。
もしや想う姫でもあって相談にでも訪れたのであろうか。
想像するだけでも感慨深く、元服して後は薫のあるがままに望んだ相手と結婚させてあげようと自由にさせてきた優しい兄君なのです。
それは権門の若君の不便さを鑑みてのこと、もちろん亡き柏木の実らぬ恋を知っている者であるから殊更に薫には心底愛する伴侶を得てもらいたいという願いからなのです。目を離したくもないかわいい薫が夕霧を頼ってくるのであればこれほど嬉しいことはないでしょう。
「薫よ、久しぶりではないか。相談があるならばこの兄に何でもうちあけるがよいぞ」
嬉しい気持ちが先行して明るく迎える夕霧ですが、よもや過去の政争を薫が尋ねようとは思いもよらないのでした。
「夕霧兄さま、先日『山の阿闍梨』にお会いしまして、宇治の八の宮という御方の話を聞きました。私は冷泉院の御前にてどんな経緯があったのか尋ねる術もございませんでした。どうか私に教えてくださいませ」
この言葉を聞いて夕霧はふぅっと溜息を吐きました。
「難攻の姫を攻略するためにこの大臣の兄を頼ってきたものとばかり。何とも色気のない話ではないか」
次の瞬間、夕霧の目に政治家としての鋭さが宿ったのは言うまでもありません。
ぴりりと張りつめる空気に薫も身を正したのでした。
「八の宮のことを聞かれたとはな。ふた昔ほど前の話になろう、我ら一門存続の砌であったよ・・・」
薫はその昔あった朝廷での出来事を、父・源氏の蒙った苦境を改めて聞かされたのでした。

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