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令和源氏物語 宇治の恋華 第十六話

 第十六話 橋姫(四)
 
宇治という場所は深山というわけではありませんが、京から南に少し離れた場所にあります。
平安時代では貴族の移動手段と言えば牛車か騎馬ということになりますので、京から三時間ほどの道程と考えればよいでしょう。
それでも人の手が多く入った京とは様相も違うもので、山の合間に人工的な建造物などがちらと見える程度、それはもう自然の中に抱かれた環境と言わざるを得ません。
八の宮は生い先美しくなるであろう姫たちをそのような場所に埋もれさせるのは惜しいと考えましたが、人にはそれぞれ持ちあわせた運命というものがあるのだと悟っておられましたので、姫たちがそこで朽ちるようならばそれはそれで致し方がないと京を後にされたのです。
 
宇治の山荘には夏場に避暑として時折訪れるのみでしたので、冬になる頃にこの別荘を訪れたのは初めてのことでした。
山の紅葉も終わり、渡る風に揺れる木の葉がかさかさと、色を失った山野は物悲しいものでした。
水を湛える宇治川も夏場には豊かな生命力の源らしくきらきらと輝きを増しますが、冬に向けては寒々しいばかり。網代木に寄せる波音が響いて心静かに勤行するにも相応しく思われません。
宮こそ心細くありましたが、不安な素振りを見せれば姫たちにも伝わることでしょう。
「この山荘で見る雪はさぞ趣深いことであろう。春になれば小鳥のさえずりも聞こえよう。力強く咲く花々も見られよう。山の端にかかる月もきっと風流であろうぞ」
ついてきた使用人たちも深い溜息を漏らしましたが、みな年経た者たちばかりでしたので、今さら他の邸などへは移れないのです。
 
京からは山また山を隔ててはさらに訪れる者もなく、宮は姫たちに文字を教えて歌を詠み、楽などを手解きするほかにはただ念仏を唱えて過ごされるようになりました。
まさに親子水入らずの慎ましい生活ぶりで、二人の姫達が宮の心の拠所となりました。
宮譲りか、姫達は楽の才に恵まれたようです。
大君は琵琶を好み、中君はの筝の琴(十三弦)をたいそう華やかに奏でられるのです。
時には楽器を取り換えて、時間があれば二人で競い合うように奏であうのでした。
そうして重ねた幾年月、宮は常々本格的に仏門に帰依したいと願い続けましたが、姫たちを残してはと思うとその願いを口にすることも出来ません。
しかし幸いにも近くに『山の阿闍梨』と呼ばれる徳の高い僧侶が住んでおられました。
阿闍梨の方でも身分高くありながら念仏修行に勤しまれておられるという八の宮の噂を聞かれると、尊き御方よ、と度々山荘へ参上するようになりました。
この阿闍梨は仏道邁進のために宇治に籠居しておられる御方でしたが、かつては朝廷にも奉仕していた名僧だったのです。特に仏教の学問には秀でておられ、八の宮に経文の読み解き方などを教授し、親交を深めたのでした。
そうした噂が都へ伝わる折にも八の宮を『俗聖』と呼ぶ綽名が流布していったようです。

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