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紫がたり 令和源氏物語 第三百十八話 若菜・上(十二)

 若菜・上(十二)
 
夜が更けても御座所にいると女房たちに心配をかけてしまうので、紫の上は早々に寝所に引き下がりました。
しかし様々な思いが浮かんでは消えてなかなか眠りにつくことができません。
気丈に振る舞ってはいてもか弱い女人なのです。
女房たちを窘めて不穏な空気は一掃しましたが、人の目の煩わしさが上の心を疲弊させているのでした。
源氏が女三の宮を娶ると世間に知れ渡ってから紫の上は人々の噂の種となって口の端にあげられ、同情されたり、嘲笑されたりと耳にする度にこの身の辛さを思い知らずにはいられませんでした。
懇意にしている花散里の姫からは気遣う手紙が寄せられ、温かい優しさに慰められましたが、普段なんのやりとりもない女君から送られてきた同情を滲ませた手紙にはその裏に悪意が潜んでいるように思われて、それを疑う自身のあさましさに嫌気がさすのです。
天下人源氏の一の妻という立場は眩しく濃い影を作るものなのでしょう。
紫の上は昔と変わらずに過ごしているものを、知りもしない世間の人達から妬みややっかみでとやかく噂されるのが辛くてなりません。
音もない深更にはそうした者たちの嘲笑めいた言葉が聞こえてくるようで、紫の上の心は穏やかではないのです。
そんな時にはやはり自然と手を合わせずにはいられません。
亡き尼君の形見の数珠を握りしめて、ひたすら念じるのです。
 
どうかわたくしをお救いくださいませ・・・。
 
御仏にお仕えして煩悩から解放されたいと心から願う上なのでした。
 
 
紫の上の密かな心の叫びを感じ取ったのでしょうか。
女三の宮の元にいる源氏は紫の上の夢をみました。
紫の上はこちらに背を向けてどこかへ行こうとしているようでした。
源氏がいくらその名を呼んでも上には届いていないようで、しずしずと離れていこうとするのです。
手を伸ばすと艶やかな桜の枝が風に煽られたように行く手を塞ぎ、足を踏み出そうにも足はぴくりとも動かないのです。
やがて霞がかかったように視界はぼやけて、紫の上の姿は消えてしまいました。
息も荒々しく目覚めた源氏はあまりの不吉さにいてもたってもいられなくなり、まだ夜明け前だというのに女三の宮の寝所を後にしました。
外はまだ暗く雪が降ったようで底冷えがします。
紫の上の対の格子は下されたままでしたので早く開けるよう催促しますが、女房たちが意地悪をしてなかなか開けてくれようとしないのです。
「姫さまに対する罪悪感ですかしら?憎たらしいのでもう少し懲らしめてさしあげましょう」
率先して意地悪したのがもちろん少将の君であることは言うまでもありません。
「ふざけていないで、早く開けなさい」
強い口調で訴えてようやく中へ入ることができました。

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