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紫がたり 令和源氏物語 第三百四十四話 若菜・下(十)

 若菜・下(十)
 
子を思う心というものはどれほどその親の目を塞ぐことになるのでしょう。
朱雀院は御出家され、俗世とは関わりを持たぬと決意された筈であるのに、いまだ女三の宮のことが心配で仕方がありません。
ましてや六条院において紫の上のご威勢が勝っていると耳にするや、源氏を恨み、今上(帝=女三の宮の兄)にくどくどと手紙を差し上げたりなさるのです。
甘やかして嗜みも身につけさせなかったのは御自身の非であろうものを源氏に教育を押し付けて自らは仏門に下られ、いまだ足りぬと欲をかかれる。
かつては世を総べる帝という尊い御方でありましたが、今ではただの惑う一老僧と申し上げましょうか。このような御方が極楽浄土を夢見て念仏を唱えるのも些か失笑を禁じ得ずにはいられませんが。
それはさておき、御父君の仰せとあらば従わねばならぬのが子の務めです。
主上は女三の宮を二品の宮に叙せられました。
 
女三の宮は御年二十歳になられました。
御封(みふ=禄)も増えて御威勢は加わりましたが、自身は六年前に源氏の元へ下られた時となんら変わり映えもしないご様子です。相変わらず言葉数が少ないのはあまり物事を考えられない性質がそのままであるようで、仕えていた女童が女房となっても宮だけは時が止まったように幼くあるのです。
女主人がこのような様子ですので、宮の御殿は軽々しい若い女房たちがひしめきさえずり、年を重ねた源氏には煩わしくて仕方がありません。
それでもさらに尊い身分となった宮を軽んじるわけにも参りませんので、以前よりはと足繁く通うようになりました。
この宮にとって救いであるのは、二品の宮というのがどれほどの品格を備えなければならないのかを理解されておられぬことでしょう。

紫の上は今一度源氏に出家の旨を訴えたいところでしたが、また嫉妬で拗ねていると言われ、躱されるのが目に見えております。
いつまでも自由になれない身が口惜しく、源氏が恨めしく思われるのですが、そうしたところで嫌な女になるばかり。
上は明石の女御がお産みになった春宮のすぐ下の妹姫、女一の宮を手元に引き取ってお世話をするようになりました。
近頃では玉鬘も頻繁に六条院を訪れるようになり、親しくしておりましたので、幸いなことに紫の上が物思いをするような時間もないのです。
 
そんなつい先ごろ朱雀院から源氏に手紙が届きました。
内容は女三の宮に会いたい、というものでしたが、これがまた源氏にとっては厄介な悩みの種となっております。
もちろん御出家されても子との対面が禁じられているわけではありません。
女三の宮が院の元を訪れるのに何ら問題はないのですが、院の前で恥をかかないよう教育をしなくてはなりません。
最初からそうしたことが躾けられておれば悩むこともないのですが、受け答えもぼんやりな姫ですし、何しろ物覚えも悪いもので、手取り足取り想定される会話のやりとりなどを説いて聞かせなければならないのです。
それだけならば付け焼刃でどうとでもなるものを院は女三の宮の七弦琴演奏を所望しておられるのです。
こればかりは修練を積まねばどうにもならないもので、源氏は紫の上に詫びながら毎夜女三の宮の元へ通い、稽古をつける羽目になりました。
和琴(六弦琴)は技法もシンプルでこなれていないと下手が目立つ琴ですし、筝の琴(十三弦)は弦の本数が多い分華やかな曲が適しておりますが、女三の宮には弾きこなせる琴ではありません。
七弦琴とはまた無難なものを選ばれた、と皮肉さえ込み上げてくるものです。
心裡では、院は音楽に関心もあり見事に奏でられるのに何故女三の宮に手解きをなさらなかったのか、二品の宮とは名ばかりである、そうせせら笑う源氏の君なのでした。

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