紫がたり 令和源氏物語 第六十七話 葵(十)
葵(十)
内裏にて葵の上の訃報を聞いた源氏は目の前が真っ暗になりました。
立っていることもできないので、惟光が源氏を支えます。
「早く、あの人のもとへ・・・」
惟光もあまりに急なことで言葉もでませんでしたが、こんな時にこそ敬愛する主人を支えるのが側近の務めです。
嘆く左大臣の側近達を叱咤し、左大臣と三位の中将、源氏を邸へとお連れしました。
葵の上の顔は安らかで、すべての憂いが晴れたように口元にはうっすらと微笑みを浮かべておりました。
まるでただ眠っているだけのような様子に左大臣と大宮は途方に暮れております。
三位の中将の男泣きに悲しみをこらえる姿が痛々しく、源氏は中将の肩を抱いて共に泣きました。昨日までのお祭りムードが一転、邸中に嘆きの嗚咽が響き渡り、暗く悲しみに満ちた様子がとても栄華を誇る左大臣家には似つかわしくありません。
突然の訃報に桐壺院は驚かれ、自ら弔問にお越しになり、源氏と左大臣に優しいお言葉をかけられました。
「娘に先立たれるなど思いもよらないことでした」
院の信頼厚く一国を動かしていた大臣(おとど)がただの老人のように弱々しくあるのを院は大変痛ましく思召され、この世はなんとままならないことか、とお嘆きになりました。
数日誰一人として葵の上の元を離れませんでしたが、いよいよ息を吹き返すことがないとわかると葬儀をしなければなりません。
「この美しい人をあの寂しい鳥辺野に送るなどできましょうか」
源氏は葵の上に縋り付くと、誰にも触れさせぬ、とまた涙を流しました。
葬儀はしめやかに執り行われ、美しく気高い姫は秋の空高く上っていきました。
のぼりぬる煙はそれとわかねども
なべて雲井のあわれなるかな
(あなたが空に上っていく煙が涙でよくわかりません。空全体が私と同じように涙を流しているようにあわれに感じます)
家族達と共に左大臣邸へ戻った源氏の君は、亡き美しい人のために心をこめて毎日読経しております。
仕方ないこととはいえ、左大臣と大宮は何をするにも気力が無くてしょんぼりとしている姿がおいたわしくて、源氏は側についていてあげなければと己を励ましました。
娘を失った大宮の悲しみは特に深く、暗闇に惑うておられるようなので、
「葵が残した若君がおられるではありませんか」
そう言葉をかけると少し目に力が戻られたようです。源氏は周りの女房達にもまめに言葉をかけるようにして、邸は徐々に落ち着きを取り戻していきました。
日が過ぎて、晩秋の趣が感じられる頃、朝霧の立ち込める中に、使いの者がお見舞いの文を源氏に差し出しました。
青鈍色の文には、
人の世をあわれときくも露けきに
おくるる袖を思ひこそやれ
(葵の上が亡くなられたと伺って私も悲しいと思いますが、残されたあなたはもっと悲しい思いでしょう。お察しします)
とありました。
この見事な手跡は六条御息所のもの。
よくもしらじらしいと源氏は不快になりましたが、そのまま打ち捨てておくわけにもいきません。
薄墨色の紙に歌をしたためました。
とまる身も消えしもおなじ露の世に
心おくらん程ぞはかなき
御息所はこの文を読んで戦慄しました。
歌の意味は、以下のようなものです。
生きているものも、亡くなったものも、みな同じに露のように儚いものなのです。妄執で心を煩わせることほど悲しいことがありましょうか。
御息所ははらりと手紙を取り落としました。
あの方は気付いておられたのだ、そう思うと我が身が呪わしく、恥ずかしく、消えてしまいたいと嘆く御息所なのでした。
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