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紫がたり 令和源氏物語 第三十二話 若紫(六)

 若紫(六)

宮とのことは生涯誰にも明かせぬ秘めた恋です。
物憂げに過ごしていても皆が怪しむので、源氏は六条の貴婦人のもとへ足を向けることにしました。
しばらく通っていなかったので、恨まれているに違いないと思うと気が重くて仕方がありませんが、患っていたのですからあの貴婦人ならば許してくれるだろうと思い直します。

六条の辺りに差し掛かると、惟光がそっと囁きました。
「殿、ここが故按察大納言(あぜちのだいなごん)の邸でございます」
按察大納言といえば、北山で出会った美少女が尼君と住む邸ではありませんか。
実は源氏はあの後僧都にも尼君にも心をこめた手紙を送っていたのですが、何やかやとはぐらかされているのです。
惟光によると尼君はすでに山を下りられましたが、病がそうとう進んでさらに心細くなられているということです。
「それは大変だ。お見舞い申し上げよう」
車を降りて見ると、垣はところどころ破れ、草は生い茂り鬱蒼として、邸はかなり傷んでいました。
「このようなところに幼い姫が暮らしているのか・・・」
源氏はこの荒れ具合が姫の心細さを表しているようで、とても胸が痛みました。

尼君は以前見た時よりもずっと加減が悪そうに見えて、苦しげな息遣いも哀れに感じられます。
「折角尊い御方をお迎えしてもこのような有様で申し訳ありません」
「そのようなことは気になさらないでください。無理をされてはいけません」
源氏は起き上がろうとする尼君を宥めました。
「私は母の顔も知らず、私を育ててくれた祖母も物心ついた頃に亡くしているのです。それゆえに幼い姫君が不憫で捨て置けないと思いました。けっして婀娜めいた心でお世話しようというのではありません」
源氏の優しい言葉に尼君は涙を流しました。
するとそこへ姫君がやってきました。
「おばあさま、源氏の君がいらしてるって本当?」
可愛らしい声に源氏は微笑みました。
「おばあさまをお見舞いに来たのですよ。こちらへいらっしゃい」
源氏の呼びかけに、姫ははにかみながらやって来ました。
薄紅の頬がつやつやと、やはり幼いながらも美しい姫です。
「おばあさま、これで元気になられるわね?源氏の君をご覧になって気分がよくなったって、この間おっしゃっていたもの」
そのあどけない様子に尼君は嘆息しました。
「このように頑是(がんぜ)ない様子です。やはりお申し出は無理でしょう。せめてあと四、五年もしたら釣り合うかと思われますが」
源氏は心底尼君を可哀そうに思いました。
あの愛らしい姫を遺していくと思うと未練が尽きることはないであろう。なんとかしてあげたいものだ。
しかし姫の父宮は健在ですので、できることもあるまいな、と諦めざるをえません。
今一つの心配は、やはり継母が継子を可愛がるという話はなかなか聞かないもので、あの姫君がいったいどのような運命を辿るのかと心が暗くなるのでした。

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