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必要とする人へ『自分を届ける』ということ

僕は昔から、自分のことを語るのが苦手だ

子どもの頃のエピソードや「最近あった面白いこと」といったような、自分の身に起こった出来事がサラッと出てくる人のことを、とても羨ましく思っている

きっと心の奥底では、自分に自信がないのだろう

・・・だからこそ僕は、ドラマが好きだ

映画やテレビ、漫画といったフィクション作品に登場する人物の生き様に自分自身を投影して、うっすらと命の片鱗を感じ、自らを愛していく

きっと僕がこうしてフィクションを愛するのは、何となく昔から、現実の世界に絶望していたからだ

自己を開示することで、心を素手で触れられてしまうことや、世界と混ざり合うことを恐れていた

世界から逃げて、孤独を愛するフリをして、独りでいることに安住する

・・・そうやって独りを謳歌していると、自分がいったい何者なのか、よく分からなくなってくるんだ

僕という存在は間違いなくここに”ある”のだけれど、独りぼっちでいると、自己を認識することができない

僕が僕自身の存在に触れることができるのは、誰かの中に僕の存在が染み込んでいることを確認できた、その瞬間だけ

孤独は楽だけれど、自分がどこに”ある”のか分からず、見失ってしまう

・・・僕がこうして文章を書いたり、SNSで言葉や写真を発信するのは、『自分の存在を誰かの中に感じていたいから』なんだと、最近強く思うようになった

それは一つ間違うと、承認欲求という荒々しい波にのまれて、溺れてしまうだろう

だからこそ、人と繋がることを目的にせず、必要とする人へ『自分を届けること』を大切にしていきたい

感情が繋がることで、波立つ心が共鳴し、心地よい流れがうまれていくだろう

けれど、『繋がることのない感情』も間違いなくそこにあって、それが忘れ去られてしまえば、自分がいったい何を届けたかったのか?がブレてしまうんよね

誰とも繋がることのない感情を抱く時は、おそらく、孤独と向き合うことになる

そうして辛くなる時間があったとしても、孤独に流されず、その中で自分が感じたことを世界に向けて丁寧に届けていくことで、他者の中に自分の存在を実感することができるはずだ

・・・僕らの人生にどんな出来事が起こったとしても、独りでいると、フィクションのドラマと同じで、ゆらゆらと自分の心が淡く燃えるだけだ

自分の存在が誰かに影響を与えて、相手の中に自分を感じることができてはじめて、僕らのドラマはノンフィクションになる

「こんな世界なんて・・・」と日常を憂うこともあるのだけれど、、、

『こんな世界だからこそ自分にできるひとしずく』を、ぽたりぽたりと世界に落として、染み渡っていこう

・・・以上です

読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています

水はあらゆる流れに身を投じることができるし
自ら流れを作ることもできる

世の中の動きに流されるのではなく
「主体的に流れること」を大切にしたい

そんなおもいを込めています

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