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令和源氏物語 宇治の恋華 第八十九話

 第八十九話 うしなった愛(二十二)

宇治での時の流れは緩やかで世の喧噪を厭う薫には優しいものでした。
京にあり善良ぶって上辺だけの慰めの言葉を聞くよりは、いっそこのままこの宇治に留まり生涯大君を偲んで暮らせれば、心もいくらか慰められるかもしれぬ、とさえ思われるのです。
匂宮はやつれて沈む薫の姿を見ると胸が痛みました。
「薫、ちゃんと食事はとっているのか?ひどくやつれた姿が痛々しいよ」
しかしながらそんな憔悴した姿になまめかしさが添うてなんともつややかな薫の様子は男の宮でさえどきりとするほどです。
「心配してくれているのかい?」
「当たり前ではないか。お前のいない京はつまらん。何をしても張り合いがなくてな。他の者もみなそう言っているよ」
「今のこの情けない私では京にあっても人付き合いなどはできぬよ」
「そうさなぁ」
匂宮は遠くを眺めると手にした盃を干しました。
「母上がな、中君を二条院に迎えてはどうかと打診してきたぞ」
「おう、それは喜ばしいかぎりではないか」
「うむ。喪の明ける来春にでもと考えるのだが」
そこで宮は言葉を切って盃の酒をじっと見つめました。
その横顔が冴えないのを不審に思う薫です。
「君、せっかく事態が好転してきたというのに何か心配事でもあるのかい?」
「ああ。中君の気持ちはどうであろうかとな、考えていた」
「昨晩のあれか」
「すれ違っていく心をどう繋ぎとめればよいのかな。私は中君の心ごと自分の物にしたいと考えずにはいられないのだが、それは思いあがりだろうか」
薫は存外宮が真剣に中君を想っていることに驚きました。
数々の浮名を流し、一人の女人に縛られない奔放を繰り返した男が真剣に身を揉んでいるのは愛を知った証なのでしょう。
薫は最期に気持ちを通わせることが出来た愛しい姫を思い描いて、中君こそはこの宮と幸せになってもらいたいと願わずにはいられません。
「そうとなれば私もいつまでも深山で燻っているわけにもゆかぬな。中君が心配なく京へ移られるようお手伝いせねば」
「そうだぞ、薫。何せ後見ではないか」
「中君は姉上を亡くされてまだ日も浅いことから行く末などを考える余裕はないのであろうよ。私もまだ闇を彷徨うているような状態であるからわかる。大丈夫だ、中君は芯の強い女人なれば」
「明るい将来に向かって共に踏み出したいものだな」
薄く笑んだ薫はまだ自分には為すべきことがあったと前向きに考えられるのです。
「四十九日が済んだら京へ戻る」
「おう、待っているぞ」
そうして二人は盃を干しました。

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