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紫がたり 令和源氏物語 第十五話 空蝉(二)

 空蝉(二)

源氏は女のつれなさを寂しく思っていました。
「お前の姉上は頑迷だね」
小君を側近くに呼んで、恨み言をつぶやきます。
自分と彼女は伊予介と出会う前からの仲なのに、ここまで嫌われるとは···、そう嘆かれると、小君は幼いこととてそのような縁が姉と源氏の君にあったのか、と素直に信じてしまうものです。伊予介はどう見ても美しい姉とは不釣り合いなのですから、さも、あらん、と悩むのです。そうして何とか姉に源氏の君と会わせてさしあげたい、と忠誠心に燃えました。
伊予介は老人で年に見合わず若い後妻を得ていたので、小君はこの美しい貴人が涙を呑んで姉と裂かれたのだろうと考えたのです。

そんな折に紀の守が任国の紀伊に下向することがあったので、小君は好機到来とばかりに源氏を邸に連れて行きました。
夕暮時であたりは薄闇に包まれています。
源氏が邸内を窺いに行った小君を庭先で待っていると、女達の明るい声が聞こえてきました。
そろりと近寄って垣根越しに覗き見ると、薄物に袴というくつろいだ姿の女たちが碁などを打って楽しげに過ごしています。
源氏は女性がこのように無防備に過ごしているのを初めて見たもので、面白いものだなと興味津々でしたが、その中に一人しっとりとした風情の上品な女性がいるのを見つけました。
扇で口元を隠しながら、碁の次の手を思案しているようです。
特別美しいわけではありませんが、佇まいに趣のある女性で、源氏は彼女に間違いないと確信しました。
相手をしている女はむっちりとした体つきの派手な美女です。
ふくよかな胸元が顕わになっていますが、気にも留めない様子で碁石を数えています。
「今回は私の負けだわ」
早口で、どことなく落ち着きがありません。
蓮っ葉な感じが未婚の女らしく、こちらが継娘の軒端荻(のきばのおぎ)だな、と源氏は誰何しました。


辺りが漆黒の闇に覆われた頃、源氏は小君の手引きで女の寝所へと向かいました。
微かな衣擦れと高雅で濃密な薫衣香(くのえこう=衣に焚き染めた香の薫り)がさっと香り、女は一瞬で源氏の君が忍んできたことを悟りました。

なんとしたことでしょう。
恥の上塗りは二度としないと決めたのに・・・。

女は衣擦れのする小袿(こうちぎ)の単衣をそのままに生絹(すずし)の一枚を羽織って几帳(布製の間仕切り)の隙間から外へ逃れました。
源氏は眠っている女を見つけましたが、どうにも感触が違います。
大柄であの女とは違う・・・、さては継娘の軒端荻であったか。

目を見開いて驚いている娘に「人違いです」とは今さら言えないので、この女もなかなかの美女であった、と思い直します。
「たびたびこちらに方違として伺っていたのは、あなたに想いを懸けていたからです」
そんな源氏の囁きを娘はそのまま信じたようです。
可愛くはあるがいささか思慮に欠ける、その点では伊予介の妻は賢しい女であるよ、と心憎く思いながら源氏は軒端荻と契りを交わしました。


ここは伊予介の妻の寝所なので、後々考えあわせて事が露見すればあの冷淡ながら貞節な淑女は大変困ったことになるであろう。
思い巡らせた源氏は娘をうまく言い含めてこの密会を表沙汰にしないよう口止めしました。
「小君を使いとして文をやりとりしましょう」
そう期待を持たせて軒端荻と別れたのでした。

次のお話はこちら・・・




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