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紫がたり 令和源氏物語 第十六話 空蝉(三)

 空蝉(三)

源氏は逃げた女を想っておりました。
賢くて、憎くて、やはりそれでも慕わしい。
そして空蝉のように脱ぎ捨てられた彼女の小袿を彼女の移り香ごと持ち帰りました。

 空蝉の身をかへてける木の下に
     猶人がらのなつかしきかな
(蝉が抜け出て殻だけ残された木の下で、私にはこの殻が懐かしく思われてならない。あなたが脱ぎ捨てて行った衣であなたを想おう)

翌日小君は源氏に責められ、姉にも責められ散々な目に遭いましたが、そっと胸に忍ばせてきたこの源氏の走り書きを姉に見せました。
「まぁ、わたくしの単衣をあの方は持ち帰られたというの?」
女は単衣が汚れていなかっただろうか、見苦しくはなかっただろうかと心配になりましたが、
「源氏の君は衣を大切に抱いてお休みになられておりましたよ」
小君がそう言うのを聞いて、これでよかったのだと改めて思いました。
源氏の君との恋はあの一夜で終わったのだ。
これ以上の物思いを重ねることは見苦しいことになり、思い出にもならぬもの。
源氏の君とのことは夢のように胸の奥にしまって私だけのものにしておけるのだわ、と密かに焦がれる気持ちを整理したのでした。
そしてそっと源氏を想って歌を詠みました。

 空蝉の羽におく露の木がくれて
    しのびしのびに濡るる袖かな
(空蝉に宿った露が木の葉に隠れて見えないように、私も源氏の君の目の届かないところで泣いているのですよ)


軒端荻は小君が邸に来たらしいので、いつ自分の元に文を持ってくるのかと心待ちにしていました。
しかしいくら待っても小君が現れないので不安になります。
かといって、源氏とのことは女房さえも知らぬことなので、どうしようもありません。
初めての殿方というわけではなかったので秘密には耐えられるものの、源氏の仕打ちが恨めしく思われます。そうといって、継母と源氏の密通という事の真相に辿り着くような機知もこの娘にはないのでした。


空蝉との一件は源氏にしては軽率な行動ではありましたが、会わなかったらば後悔したであろうという甘い余韻が胸に残ります。
物憂げにいろいろと思いめぐらしていると、伊予介が都へ上ってきたということで、源氏の元に伺候しました。
伊予介は船旅で日に焼けた老人でしたが、身なりもきちんとしていて貫録のある男です。
源氏は空蝉とのことがあるので後ろ暗い心持ちでしたが、この老人を改めて見ると、真面目でなかなか立派な人物です。
空蝉のつれない仕打ちもこの夫への真心の表れだと思うと、もはや憎く思う心はなく、むしろ温かい大きな心で彼女を懐かしく思うのでした。

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