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紫がたり 令和源氏物語 第三百三十六話 若菜・下(二)

 若菜・下(二)
 柏木は女三の宮のことばかりを考えてぼうっとすることが多くなりました。
気晴らしに出掛けても宮は今頃なにをされているのか、私の文を読んでくださっているだろうか、と頭から離れないのです。
しまいにはせめてあの姿を垣間見させてくれた仔猫が側にいてくれれば宮の代わりと心も慰められるものを、などと思い詰めているのです。
 
どうにかしてあの仔猫を手に入れたい。。。
そうして柏木は一計を案じました。
春宮は無類の猫好きでいらしたので、そちらの方から例の仔猫をうまく譲ってもらえるように仕向けようと考えたのです。兄上の所望とあれば女三の宮も仔猫を献上するに違いありません。
実は柏木が女三の宮に懸想したのは婿選びの話が持ち上がるよりもずっと前のことでした。
朱雀院は柏木の楽の才を殊のほか愛され、特に目をかけてくださっておりました。
度々春宮へ琴の手ほどきなどに召されて親しくあったので、女三の宮の噂やご様子を窺う機会もあり、いつしか強い憧れを抱いていたのです。そして宮がご降嫁されることになれば、誰よりも一番に求婚しようと心に決めていたのでした。
 
このように春宮とは気軽にお話をできる間柄でしたので、念入りに身繕いをして御前に伺候しました。
内裏の東宮御殿にはこの春に生まれた仔猫たちがたくさん養われております。
親猫の後を追いながらこけつまろびつしている様子がまた愛らしいもので、柏木は側でまどろんでいる一匹を抱き上げると優しく撫でました。
「おや、柏木は猫が好きなのかい?」
気さくにお声を掛けられる春宮は新しい猫好き仲間を見つけたと笑んでいらっしゃいます。
「はい。ほんに猫というのは可愛らしい生き物ですねぇ。どの仔猫もそれぞれ愛らしいですが、そういえば女三の宮様の元におられる唐猫がやはり和猫とは一風変わった感じで愛らしゅうございました。呼ぶとやってきてじゃれる様がなんとも愛嬌がございましたよ」
それを聞いた春宮は興味を持たれたようです。
「唐猫とはそんなに違うものかな?どう違うのだ?」
「はい。手足が華奢で尾も長うございます。甘える鳴き声もそれは可愛らしゅうございました」
わざと春宮が欲しがるように水を向けると、早速女三の宮へ文をしたためられました。
 
数日後柏木はそろそろかと再び東宮殿に参上すると、狙い通りに例の仔猫はこちらに引き取られておりました。
「春宮様、あの仔をこちらに引き取られたのですね。可愛らしゅうございましょう?」
「うむ。たしかに柏木の言う通り愛嬌があって良い仔だな。しかしなかなか懐いてくれないのだよ」
「まだ小さいですから臆病なのでしょう。人慣れさせるにはここはちょっと猫が多うございますね」
「そういうものかな」
「ええ。他の猫はこのくらいですとまだ親から離れぬものでございます。この仔は早く親から離されたので猫社会にも人にも適応できないのでしょう。私が初めて女三の宮様の元で見かけた折にも大きな猫に追いかけられておりました」
「さて、どうしたものか・・・」
「それでは私がこの仔をお預かりいたしましょう。我が邸には他に猫はおりませんので、人に先に懐くでしょう」
「柏木、そうしてくれるか?」
「おやすい御用でございますとも」
柏木は言葉巧みに仔猫を邸へと連れ帰り、かねての望みどおりに事を運んだのでした。
驚いたのは邸の女房たちです。それまで猫になど見向きもしなかった青年がどうしたわけか急に可愛がり始めたのですから、訝しく思っても仕方のないことでしょう。
そんな傍目も気にすることなく、柏木は朝夕仔猫の世話をして夜は一緒に眠っているのです。
いつでも手元から離さずこの仔猫を宮と思って話しかけたりしております。
「にゃう、にゃう」
猫がそうしてじゃれ付くのを目を細めては話しかけます。
「お前、私に寝よう、寝よう、と言っているのかい?」
「にゃう」
「仕方がないねぇ。こちらにおいで。一緒に寝よう」
 
戀ひわぶる人の形見と手馴らせば
     なれよ何とて鳴くねなるらん
(恋い慕う女三の宮の代わりとお前を引き取って手元に置いたのだが、寝よう、寝ようとお前が鳴くのはどうしたことか。宮と私には深い縁があるに違いないと思えてならないのだよ)
 
そうして仔猫を懐に入れて物思いに耽っているのです。
春宮から猫を返すよう再三催促があっても、そ知らぬふりを決め込んでいるのでした。

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