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令和源氏物語 宇治の恋華 第四十六話

 第四十六話 恋車(八)
 
年が明けて、例年通りの忙しいお正月は薫にとってありがたいことでした。
帝の信頼厚い薫は新年の御賀の為に参内し、冷泉院へもご挨拶に伺います。
院には初めての皇子が誕生されたので殊の外喜ばしい新年を迎えられたようです。
御自ら赤子を抱かれ、玉のように美しい若宮を披露された院の輝くばかりに若々しくつやつやとされたご様子は亡き源氏の院を思い起こさせるほどのご尊顔でありました。
院は薫がしばらく御前に伺候しなかったのを恨まれましたが、こうして新年の挨拶に来られたので機嫌を直されたようです。
この年は男踏歌も行われるので、楽才もあり若い公達の筆頭たる薫はその中心で勤めを果たさねばなりません。
日々練習に明け暮れて、ひとときでも宇治の大君を忘れることが今の薫にとっては救いなのです。
いっそこの想いが消えてくれればどれほど、と願わずにはいられませんが、そのようなことがないことは薫自身もよくわかっているのです。
 
初子(はつね)には夕霧に招かれて六条院へと参上しました。
平安時代ではこの初めて迎える子(ね)の日に「根引き松」という習慣がありました。若松を抜いて植えかえるのです。
これは先祖に対する感謝の念を表すとともに健康と長寿を祈るもので、現在の角松の起源ともいわれています。
夕霧は六条院の正夫人女二の宮のもとで養育されている六の姫を匂宮と娶わせたいと願っておりますので、そこには宮も招かれておりました。
「薫中納言ではないか、ひさしぶりだなぁ」
「本当に。宮さま、新年おめでとうございます」
人目があるのでこのように礼節を守っておりますが、匂宮は何か言いたげなので、薫は誘われるように後ろについて女房たちの局に向かいました。
実はここに仕える少納言の君と呼ばれる女房は匂宮が密かに愛人にしていた女人なのです。
「まぁ、わたくしに逢いに来てくださったわけではありませんのね」
「後ほど忍んで来ようほどに、陽が暮れるのを待っていなさいよ」
拗ねて見せた少納言ですが、艶やかに笑むと局を明け渡しました。
「まったく君には呆れるなぁ。あちこちのお邸に愛人がいるのではないか?」
「それは大げさだよ」
「しかしここは兄上(夕霧)のお膝元だぞ。まさかあの少納言は六の姫付きの女房ではあるまいな?」
「さてな、どうであろう?」
「兄上は君に六の姫をと働きかけているらしいじゃないか」
「それそれ、従兄妹同士が縁組なんて面白くもなんともない。やはり夕霧の大臣が舅というのもご免だしな。それよりも、そのようなことを話したくて誘ったんじゃないぞ。あの宇治の姫君たちのことだ」
「どうかしたのかね?」
「いくら手紙を贈っても色よい返事のひとつもない。いくら世慣れていないからといったってあんまりではないか。お前、ちゃんと私の気持ちを先方に伝えてあるんだろうな」
「暮れに訪れた時にはその旨しっかり伝えたとも。父宮を亡くされたばかりだし。それよりもあちこちの邸に愛人を作っていないで誠実に訴えたほうがいいと思うぞ。存外君の派手な女性関係を耳にして牽制しているのかもしれないぜ」
「人を遊び人のように言うなよ。運命の相手に出会うまでのことではないか」
「ま、遊びはほどほどにして姫君の信頼を回復するのだね」
「薫はいつも耳の痛いことばかりを言う。うちのばぁやと一緒だな」
「宇治の橋姫たちはさらに手ごわいぞ」
「簡単に靡く女というのもつまらないしな。どれどれ、『根引き松』が始まったらしいぞ。戻るとするか」
遠くで女童や若い女房たちの楽しげな嬌声が聞こえてくるもので、匂宮は顔を顰めて薫を促しました。
「ひとつ聞いてよいか?」
「なんだね?」
「私がやりとりしている姫君は姉か妹か?」
匂宮の問いに薫はふっと笑い、
「花も恥じらうほどの中君であるよ」
と一瞬辛そうな顔を見せました。
薫のほんの滲ませた大君を想う辛い恋心に宮は気付かないようで、初めて相手が誰とわかった感慨に耽って心ここにあらずなのでした。

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