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紫がたり 令和源氏物語 第四百十六話 夕霧(十九)

 夕霧(十九)
 
定められた通りに小野の山荘は片付けられ、宮が残りたいと願ってもすでに手回りの櫛の箱さえも運び出されてしまいました。
夕霧によって差し向けられた車は喪中であるので華美ではありませんが、皇女が乗るに相応しい上質なしつらえです。
女房たちにはそうした心遣いもありがたく、もはや夕霧を宮の夫として迎えることになんの異存もありません。
このまま山奥で朽ち果てようという宮を置いて馴染んだ仲間がばらばらになるよりも、柏木の君がいた頃のような華やぎが戻ってくると思うと早く京へ帰りたくて仕方がないのです。
「宮さま、予定のお時間でございますわ」
「夜も更けてしまいます。早く御車に」
そうして急かされるので、宮は最後に小野の山荘を振り返り、泣きながら詠まれました。
 
のぼりにし峰の煙に立ちまじり
     思はぬ方に靡かずもがな
(わたくしは未だ母君が恋しく、煙となってしまった後を追いたいのです。よもや想いもしない御方<夕霧>に靡こうとは思わないのですよ)
 
一条邸へ戻ってみると、破れた垣は直され、庭も美しく整えられておりました。
邸中は磨き上げられたように清浄で、結婚のために飾りたててあるのが、宮にとっては慣れ親しんだ邸に戻って来たというような気がしません。
夕霧は東の対の一間を自分の御座所のようにしつらえてそこで宮を待っていたのですが、すでに主人顔をしているのも宮には耐えられないのです。
 
まるで別の邸に来たようだわ。
お母さまのいらしたぬくもりなどまるで感じられない邸になってしまった。
もう後戻りはできないのね。
 
宮はただただ悲しく、夕霧の仕打ちを憎く思いますが、相手は天下の大将、か弱い女の身ではどうにもできるはずがないのです。
夕霧はいよいよ女二の宮と結婚できると思うと居ても立ってもいられない心境ですが、小少将の君は宮の御気持ちを慮って夕霧に懇願しました。
「夕霧さま、もしも宮さまと長く添い遂げようというお気持ちがあるのであれば、今宵はどうぞ宮さまをお一人にして差し上げてくださいませ。この懐かしい邸に戻られたばかりでまた御息所を思いだされてお泣きになっていらっしゃるのですよ」
「私は愚かしくも充分に待ったつもりだが、私は柏木よりも劣っていると思われているのが辛くてならないよ。どちらが無理なことを言っているものか世間の人にも聞いてもらいたいほどだね」
「それは女人の繊細な心を推し量ろうとなさらない御身が非難されるでしょう」
そのようにはぐらかそうにも、今宵の夕霧はいつにもまして強引で、宮の御寝所へ無理やりに入るのを、宮はその振る舞いが許せずに隣にある塗籠(ぬりごめ=納戸のような小部屋)に籠り、内から錠をさしてしまわれました。
「なんとも情けない仕打ちですね。これほど幼稚な方だったとは思いませんでしたよ」
そう宮に聞こえるように嘆いてもあちらからはなんの返事もありません。
「せめてお話ができるほどに扉を開けては下さいませんか。けして御心に反するようなことは致しませんから」
ここまで押し込んできていったいその言葉は信じられるものか、と宮は藁にも縋る思いで息を殺していらっしゃいます。
 
うらみわび胸あきがたき冬の夜に
     またさしまさる関の岩かど
(御身の無情を恨んで悲しむ私の心をさらに隔てるように塗籠の戸まで閉じられて拒絶されるのが辛くてなりません)
 
夕霧は何故ここまで嫌われるのであろうかと情けなく、一条邸を去りました。
かといって世間には広まってしまったであろう今日の振る舞いを鑑みると夜明け前に雲居雁の元へ戻るのも一層情けないものです。
夕霧は傷心を抱えたまま六条院の花散里のお母さまの元へと向かいました。

次のお話はこちら・・・


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