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紫がたり 令和源氏物語 第四百八話 夕霧(十一)

 夕霧(十一)
 
就寝後雲居雁が眠ったのを確認した夕霧は御寝所の茵の下や手紙をしまいそうなところを探ってみましたが一向にみつからず、御息所のお文には違いないのにどうしたものか、と焦りました。
翌朝雲居雁を問いただすしかあるまいと諦めるもあの御手跡の乱れから推察するにお加減が悪いのに強いてしたためられたのか、と考えるだけでも痛ましく、申し訳ない気持ちが溢れてくるのです。
そもそも妻をちゃんと躾なかった己の落ち度であるが、この妻は夫を侮るにもほどがある、などと雲居雁の心情も顧みずに腹を立てていられるのは詮無きことでありましょう。
眠れぬ夜を過ごした夕霧は雲居雁が起き出した後に寝所から出て、明るい陽の中で再び手紙を探しましたが、やはり見つかりませんでした。
子だくさんの雲居雁は忙しく、次々に子供たちの世話をやいて休むこともありません。
どうやら思ったようなものではなかったらしいので、手紙のことなどはとうに忘れてしまっているのです。
頭の中が手紙のことで一杯な夕霧は雲居雁を呼びとめて、さりげなく在り処を問いました。
「花散里のお母さまに返事を書かなくてはいけないのに、あの手紙にはなんと書いてあったのだい?早く出しなさい。私も風邪をひきそうなので消息だけでも差し上げないとまずかろう」
雲居雁はまた自分の恥ずかしい行いを思い出して顔を赤らめます。
「小野の野風で風邪をひいたようです、といかにも風流めかして差し上げればよいではありませんか」
雲居雁はあの折に若君をあやすのに手間取りどこに手紙を置いたか本当に思い出せないのです。
「まったくみっともないことをするから私が恥をかくのだよ」
昨日ああ言ってごまかした手前、強いて聞き出すことはできまい、とやきもきと過ごしているうちにその日は暮れてしまいました。
今頃御息所も宮も気を揉んでおられるか、と考えるとつれないあしらいがこうした結果になるのは目に見えているもので、宮も少しは私を気に懸けられるだろうか、などと夕霧は口の端に不敵な笑みを浮かべるのです。
それでも手紙をさしあげねば、と硯を引き寄せた視界に雲居雁の御座から覗く紙の端が飛びこんできました。
こんな安易な処にあったとは。
動揺してなかなか見つけられなかった己もまだまだだな、と自嘲しながら手紙を開きました。
しかしそこにはそれまでの楽観的な気持ちを吹き飛ばすほどの御息所の悲痛な叫びが綴られていたのです。
 
女郎花しをるる野べをいづことて
     一夜ばかりの宿を借りけん
(女郎花<女二の宮>が思い悩んで萎れているのをご存知であるのに無理やり手折って知らぬふりとはどういうことでしょう。宮さまは常人とは違うご身分であることをおわかりですか?一夜の慰みとして打ち捨てるなどもって他ですよ)
 
夕霧は驚愕しました。
女二の宮を赦そうという内容のものかとばかり思っていたものを、これは夕霧をはっきり非難し、婚姻する意志があるのかどうか探っておられるものです。
これでは昨晩訪れないかったことをさぞかしお怒りであろう。
ましてやお返事も差し上げないとはこちらの誠意を見せるべきところであったのに。
夕霧は機会をふいにしたことと、このような文をしたためられた御息所の心痛を思うとこれからでも小野へ赴くべきかと悩みました。
しかしこの日は暦の上では坎(かん)の日。
万事を慎む日であるので婚姻には凶日です。
末永く宮と添い遂げたいと願う夕霧にはこの日は忌むべき日なのでした。
夕霧は急ぎ弁明の手紙をしたためて、側近を近くに呼びました。
「もっとも速い馬でこの手紙を小野の御息所へ届けよ。よいか、昨夜から六条院に伺候して今戻ったという口上を忘れるな」
「はは」
主人のただならぬ形相に右近監と呼ばれる男は即座に身を翻して邸を後にしたのでした。

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