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紫がたり 令和源氏物語 第百七十八話 薄雲(六)

 薄雲(六)

母・女院の四十九日の法要を終えても、冷泉帝の悲しみは一向に癒されるものではありませんでした。
東宮殿で起居するようになってから母君と過ごす時間は少なくなり、帝王たるべく教育を受けてきた君ですが、母が恋しくてなりません。
桐壺院が亡くなり、朱雀帝の御代になった不遇の時には自分を護るためになんの躊躇いも無く世を捨てた強い心を持ち、その美しく凛とした有様が素晴らしい方であったと懐かしく思われるのです。
母への思いは尽きることもなく、ここのところ帝はしんみりと夜を明かす日々を送っておられました。

ある静かな明け方のことです。
普段ならば近侍の侍臣や女房などが帝のお側近くにおりますが、その時は老いた僧都のみとなっておりました。
この聖は齢七十ばかりの徳の高い僧で、故女院の母君(先の母后)の代から祈祷僧として内裏に仕えており、今でも帝の信頼の厚い尊い人なのです。
「実は帝に申し上げたいことがあるのです。奏上するべきか悩みましたが、御身のためと心苦しくも申し上げるのです」
帝は苦悩を滲ませた老僧都の様子を訝しく思召されました。
「幼い頃からよく見知っておるのに遠慮をすることはない」
僧都は緊張をほぐすようにひとつ息を吐き出すと、とつとつと語り始めました。
「このことは過去と未来において秘されるべきことではありますが・・・。その昔、亡き女院が御身を懐妊されました時よりのお話でございます。女院のお嘆きは深く、拙僧に祈祷を命じられ、そこには尋常ならざる事情があったように思われました。また、源氏の大臣が無実の罪で須磨へ退去された折にもそのことを恐ろしく思われたようで、内密に君の為の祈祷などを依頼されたのです。そしてまた源氏の大臣も女院の御心を知り、御身が帝位につかれるまで玉体安全の祈祷(東宮が健やかに無事に即位できるよう祈ること)を私に続けさせたのでございます」
冷泉帝は頭脳明晰でいらっしゃるので、僧都の言葉をここまで聞くと母と源氏のただならぬ関係を察することができました。

 それでは源氏の大臣が我が父であるというのか・・・。

あまりに衝撃的で、帝は次ぐ言葉もみつかりません。
僧都は不興をかったと思い、そのまま御前を退出しようとしました。
「僧都よ、よくぞ話してくれた。知らぬでおれば末世までの罪障となるところであった。他にこのことを知る者はあるか?」
「は、拙僧と王命婦以外にこのことを知る者はおりません。しかし、王命婦も私が知っていることは思い当らないでしょう」
「たしかに王命婦は誰よりも母の側に仕えていた」
「おそらくはただ一人にて秘密と共に果てるつもりでしたでしょうが、その重さに苦悩しているのを私が推し量って悟りました」
帝は今も尚母の意志を守り自分の側に健気に仕える王命婦の苦しい胸の裡を察すると申し訳なさで目を伏せられました。
「出過ぎた真似をとご不快でしょうが、近頃の天変は御仏からの啓示でありましょう。上が幼少であられました頃は物事の道理もご存知ないものといかにも何事も無く過ぎましたが、成人あそばされて分別もおつきになった今でこそ天の責めがあるのでございます」
帝はうむ、と大きく頷かれました。
夜はしらじらと明けて僧都は退出しましたが、帝は明かされた真実に打ちのめされておりました。
陽が高くなっても主上(おかみ=帝)が夜の御殿から離れずにいらっしゃると聞き、源氏は御容態でも悪いのでは、と急ぎ参内しました。
誰も御殿に寄せず塞ぎこんでおられるということでしたが、源氏の大臣ならばと側近くを許されましたが、しんと静まり返った御座所で悩ましげにやつれたご様子がお労しい。
帝は源氏の顔を見ると、実の父上という思いが込み上げてくるのかほろほろと涙をこぼされました。
源氏は母君のことを想っておられるのか、とまだ若い君を愛おしく見つめました。
その慈愛のこもった眼差しを見て取られると、帝はやはりこの方が父君なのだと直感し、また涙を流されました。

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