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紫がたり 令和源氏物語 第百十九話 明石(六)

 明石(六)

源氏は明石の入道という人物に興味を持ちました。
この人は大納言の父を持ち、自身も三位の中将として宮中に侍っていた身分高い人だったのです。
今は入道となり念仏三昧に暮らし、勤行痩せしているようなところが品が良く、良清が言うような頑固偏屈な御仁とは思えないのでした。
「入道。こちらにいらして少しお話しませんか?」
源氏が誘うと、入道は娘のことでも切り出せるかと遠慮しながらも御前に伺候しました。
春の気配が濃くなり、海風も穏やかな昼下がりのことです。
「今日はまたよい日和でございますな。きっと大きな魚が上がりましょう。今の時期ですと・・・」
入道ははや源氏の夕餉の差配を巡らせております。
ふっと君が笑われると辺りは匂うばかりに華やぐのを入道は惚れ惚れと見入ってしまいました。
「入道はその昔殿上人だったそうですね。受領を志願してこの地に下られたと聞きましたが」
「はい。宮仕えは性に合いませんでした。権勢のある大臣(おとど)の顔色を窺うのがどうにも苦痛で逃げ出したのです」
などと己を卑下していますが、これだけ満ち足りた暮らしができればたいしたものです。
ここで少し受領という職について触れておきましょう。
日本はあけぼのの頃から大陸の、特に中国の文化を多く取り入れて自国を形成してきました。
平安京は唐の長安の都を模して造られました。
遷都した当初は唐衣を纏い、唐風に頭を結っていたものです。
それが平安時代中期に中国が戦国時代に突入した為、国交は断たれ、我が国は独自の文化を紡ぎ始めたのです。
国を形作り始めた頃、中国を模倣して聖徳太子によって律令制が布かれ、戸籍をもって民を管理した頃は統率が行き届いておりましたが、平安時代になると地方への目が届きづらくなりました。
受領と呼ばれる地方を治める国司の一番の仕事は祖税を徴収することにあったのです。
もちろん国家防衛の要となるような所は衛府なども配置され、また働きが違ってきますが、この播磨の浦にあっては海の恵み豊かな地として実入りの多い場所でした。
受領(国司)の下には、在郷で地元の民を統括する人物がおり、作物であればその年の作に応じて税を納めていたのでした。
悪辣な情け知らずの国司が赴任した場合、民から搾取して私腹を肥やす輩など、中流にあってはとかく役得のような職ですが、この入道はそのようにあったとは思われません。
「受領にはそれなりの裁量権が与えられております。民が餓えぬようにというのが肝要で出来が多い年はその分ちゃんと徴収します。幸い私の任期中は実りが多くこのように蓄財もできました」
入道の言うことはもっともで、国の基本となるものはやはり第一に民なのであると改めて感じた源氏の君なのでした。

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