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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十四話 梅枝(五)

 梅枝(五)
 
春宮の元服の儀は同じ如月の二十日と定められておりました。
源氏の姫も裳着を済ませたことで、世間では新しい時代の訪れを感じているようです。
春宮は次代の帝ですので、めでたく元服されたとあれば年の合う美しい姫を持つ親としては黙ってはいられぬでしょう。
しかし何をもってしても源氏の太政大臣の姫にはかなうはずもなく、入内を尻込みする輩ばかりで、源氏はその傾向を快く思いませんでした。
「後宮というものは帝をお支えする場所です。女人たちが競い合う場のように思われがちであるが、数多の優れた姫が帝のお力となることで天子として国を大きく担われる盤石な体制となるのです」
源氏のこの一言でそれまで躊躇っていた貴族たちも娘を入内させるよう動き始めました。
源氏は貴族たちに気を遣い、姫の入内を先延ばしにして卯月(四月)と決めました。
最初の后となる女人は年上である方が望ましいとされておりますので、左大臣の三の君が入内されました。
麗景殿女御と申し上げます。
少し時間が出来たので、源氏は自分の御所での宿直所としていた桐壺を姫が寛げるよう模様替えさせました。
源氏の母、桐壺更衣は父を亡くしての入内で権勢もありませんでしたので、東北の一番端にあるこの桐壺を住いとされましたが、明石の姫は太政大臣の御娘で押しも押されぬ身分ゆえにみじめな思いなどされるはずもありません。
源氏が育ったあの頃の後宮とはまったく違うものなのでした。
源氏は入内に際して持たせる調度品などにも細やかな気を配っております。
そして姫が洗練された貴婦人となるべく草紙なども手跡を厳選したものを持たせようと思いたちました。
源氏は昔の懐かしい恋を思い出しつつ、女人の柔らかい仮名使いの魅力的なことを紫の上と語らっておりました。
「なんでもなく書き捨てたようであっても美しい手跡であったのは六条御息所をおいて他にはあるまい。一流の教養人として男どもと渡り合っておいでだった。御娘の中宮は優しい字をお書きになるが才気には乏しいかな。優しいという点ではあなたの叔母にあたる藤壺の宮は女性らしい字をお書きになったが、弱々しいところがご気質を表すようであった。現代風という点では朧月夜の尚侍の君が挙げられますが、ちょっと癖があり気取った感じは否めませんねぇ。しかし当代三名人とするならばこの人と朝顔の姫宮、そしてあなただと思いますよ」
「まぁ、わたくしですか?おこがましいですわ」
紫の上はさっと頬を赤らめました。
「本当の話ですよ。元々は私があなたに字を教えたのだけれども、師匠を超えるほどの魅力的な字を書かれるようになった。手跡というものはやはりその人となりを表すものですね。あなたは女性らしい字を書かれるが、そこにはあなたという自我が表れている。とどのつまりあなたほど優れた女人はいないということですよ」
紫の上はその言葉を嬉しく感じましたが複雑な心持ちで聞いておりました。
「そうだ。他の方々にもお手本になりそうなものを書いていただくよう依頼しよう。そうなると兵部卿宮や柏木などがいい手跡であるなぁ」
などと、源氏は次から次へと名案が浮かんで目を輝かせています。
いつまでも子供のような御方だわ、と紫の上は夫を見つめるのでした。
 
源氏は人に依頼するのと同時に自分も思うままに文字を連ねました。
名人は数多おられますが、この世にも稀なる人の手こそ殊に優れているのです。
兵部卿宮はご自分の書かれたものと共に嵯峨帝が万葉集の中から選んで書かれた四巻、延喜帝が古今和歌集をお書きになった秘蔵の書なども贈られたので、源氏はこの上もないものと喜びました。
そのように見目麗しく誰からも愛され、尊ばれる太政大臣の姫君を春宮は心待ちにしておられるのでした。

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