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紫がたり 令和源氏物語 第三百九十三話 鈴虫(二)

 鈴虫(二)
 
開眼供養が始まり、高僧の尊い読経や説法など次々に為されるなかで、源氏は感慨に耽っておりました。
以前ならば恨み言のひとつも漏らさぬ宮でしたが、歌の中にそれを滲ませるとは。
否、恨みさえも感じぬような情緒の乏しさと蔑んでいたものが、柏木とのことが宮を成長させたのでしょうか。
目に意志が宿られているのを見てとるや、この宮も教育すればそれなりの女人になったのではあるまいか、とまた惜しまれるのです。
何よりその可憐な美しい姿は仏弟子としては似つかわしくないという情念が今さらながら源氏の胸を焦がすのでした。
もしも源氏が真の愛情をもってして宮に接していたならば事情は変わっていたのでしょうか。
源氏の君の悪いお癖で、またすでに存在しない藤壺の女院の面影を追い求めて女三の宮を娶ったもので、まったく思った通りの女人でないことを知るやその顔にも落胆の色が表れたに違いありません。
最初から宮ご自身を見ようとしたことなどは一度もなく、至らぬ者よと蔑まれれば人はどうすればよいのでしょう。
この時代、女人は庇護してくれる者がいなければ生きてゆけないのです。
嫌われぬようにと感情を抑えて鷹揚に構えることが賢いのだとすれば、宮の性質はそれにぴったりのようであり、宮もそれをよしとして自らを育てられませんでした。
しかしそれは源氏の理想とは程遠い女人の姿であったのです。
盲目的な柏木の愛は宮には非道としか思われませんでしたが、烈しい想いは宮の心裡を掻き乱し、源氏への愛を、愛しむという目を無理やりに開かされたのでした。
そして残酷なことにそう自覚した時にはすべてを失ってしまった後という、まるで流されるままに任せて考えることを放棄した宮への運命の復讐ともいうべき皮肉な結末を迎えたのです。
それゆえに宮はこれ以上源氏の目に触れているのも辛く感じて出家されました。
それがまた源氏の心を掻き立てるとは、人の心の綾というものは複雑にして哀切な色を帯びているものでございます。
この世にも稀なる貴人を愛した女人たちはみなさまざまに思い悩む定めにあるようです。
源氏と長く連れ添う紫の上も然り、彼女は自我を持ち、聡い故に誰よりも苦悩は深いのかもしれません。
果たして源氏の追い求めるものが何であるのか、それは御自身でさえお分かりにならぬことかもしれません。
このように罪作りな御方と関わりを持つというのが幸か不幸か、それは読み手であるみなさまのご判断にお任せいたしましょう。

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